トモの昔話

トモがユキを拾った日のこと

 あれはまだオレが技師団に入団して一年くらいの時のことだった。あの頃、技師団機械技工士部は13番都市と地上を結ぶエレベーターの大型修理事業を任されていて、まだ見習いをしていたオレもその事業に従事していた。だから、地上に出ての作業も多く、親父とニードはあまり良い顔をしていなかったのを今でも良く覚えている。地上で妻を失くした親父にとっても、ガスマスクをつけても地上に出たらその毒素で体を蝕まれてしまうニードにとっても、他の都市民にとっても、地上とは死が蔓延る場所なのだろう。事実、地上での作業中、先輩や上司は決まっていつも以上に緊張を走らせながら作業した。風が吹けば体をこわばらせ、瓦礫だらけの退廃的な風景に辟易し、地下に戻ればホッと息をついていた。だけど、だけどオレは、何故か地上に親しみと懐かしさを抱いた。それは、人間が本来生きる場所であったはずの場所に対する懐古かもしれないし、塵が舞い、灰色に沈めどただ広く自由に広がる空への憧れかもしれない。何にせよ、オレは地上に出ることを好んだ。そんなオレの話をマサ兄は好んで聞いてくれた。地上で、自分の両親が地上の毒素に体を蝕まれ、その命を喰われていく様を体感しているにもかかわらず、マサ兄はオレと同じく地上に親しみを抱いていたらしい。
「今でこそ、地上は人の命を奪う毒の大地と成り果てたけど、地上の風を浴びて、その大地を踏みしめたとき、俺は生きているということを息をすること以上に感じられた気がしたんだ。俺の名前を呼び続けるうちに声が枯れ、力が抜け、一歩踏み出すごとに……息を吸うたびに、死へと歩みを進める両親を傍らに俺は、だけど、感動した」
 珍しく敬語を一切使わずそう話したマサ兄の顔は寂しげだったけれど、それは多分オレと同じ感動だった。
 そうやって日々を過ごしていたある日、オレは地上での作業の休憩中、携帯食料を齧りながら散歩をしていた。空気は埃っぽく、苦かったが、機械を通し薬の匂いのする都市の空気よりはオレは好きだった。もちろん、数分で食べきってちゃんとマスクを着け直したけど。マスクがちゃんとつけられていることを確認し、がらんとしたビルの廃墟が立ち並ぶ道の真ん中を眺めていると、ふと、人が倒れてるのが目にはいった。
 急いで駆け寄ると、それはオレと同い年くらいの少女だということが分かった。ミルクをたっぷり入れた紅茶のような色をした長い髪がかかっている顔は地上の毒素の中にあっても穏やかで、わずかに紅潮した頬だけが彼女が生きていることを伝える。目が閉じられていても分かる可愛い顔に穏やかな表情を浮かべ俯せに倒れている彼女は、瓦礫だらけの灰色の廃墟の中で鮮やかで。思わず立ち尽くし、まるで一枚の絵画でも眺めているような気になったが、そのうちに休憩の終わりを知らせる鐘が鳴り響きオレは急いで彼女のすぐ近くに駆け寄った。
「おい、大丈夫か」
 声をかけ、体を揺すぶってやれば彼女はすぐ目を覚ました。
「ここは……君、は?」
 か細くも芯の通った声は、医療サーカス団のピエロ姉弟が吹いていた縦笛のように響く。彼女の目は右が金色で左が黒のオッドアイで、俯せになっていたときには気づかなかったが左頬に花形のような痣があった。そのすべてが彼女が特殊な存在であることを示し、その目に見据えられたオレはまるで何かに縛られたように動けずにいた。
「ねえ、君は誰?」
 明確な意図を持って繰り返された質問にオレはようやく我に返る。
「オレは13番都市……通称交易都市の技師団機械技士部所属のトモ。その様子だと地上に放り出されてからあんまり時間が経ってないみたいだな……どこで何をして追放されたかはしらねぇけど、そろそろ症状が出始める頃じゃねえの? うちは都市にいる分にはかまわねえから都市まで案内するか? 生活までは保証しないけど」
「13番都市……?」
「そ。交易で成り立ってる商人と職人の町だな。結構有名だと思ってたんだけど、知らない?」
「ううん、分かんない……と、言うか僕が誰だかも分かんない。何も、思い出せない」
「はい?」
「記憶が……ない……」
「マジかよ……」
 オレは途方に暮れたね。見殺しにするのも目覚め悪いから一応都市までは案内してやろうと思ったら、そいつ記憶喪失なんだもん。色々話しながら13番都市を目指し、そいつがユキという名前だと聞き出すことに成功した頃には入り口にたどり着いた。
「おいトモ遅ぇぞどこで油売ってやがったんだ!!」
「おいまて、お前、何をつれてる?」
「ん、本当だ。おーいトモが難民つれて帰ってきやがったぞ」
 先輩がたの怒号を浴びてたら、誰かがユキの存在に気づいたらしく、いつの間にか怒号は質問へと変わっていった。
「散歩してたら拾いました。まだ地上での毒素による症状は出ていないようなので、見殺しにするのもアレなんで連れてきました。地上の毒素に強い体質かもしれませんし商団あたりで使えるかなーとか思ったんですけど、こいつ、記憶喪失みたいで」
「お前、面倒なの連れてきたなあ」
「まあ確かにまだ症状出てないやつを地上に置いてくのもなあ」
「居候する分には場所はあるからな」
 オレが質問に答え、騒いでるうちに地下にいた作業の指揮者を誰かが連れてきてくれたらしく、すったもんだの上、とりあえずユキは13番都市で引き取り様子を見ることになった。それは、まだユキが若く、これから使える可能性を多いに含んでいたこと、可愛い顔をしていたので商団に向いていたことが大きく関わっていたことは想像に難くない。オレもユキの関係者としてユキに連れ添った。地下へ降りる梯子を下り、固く閉ざされた都市の入り口を開けて中へ一歩踏み出したとき、異変は起こった。
「??! グッ……ハッ……ア……」
 いきなり首に手を当てたかと思うと、ユキが苦しみだしたのだ。急いで扉の外へと駆け、息を大きく吸い込み、咳き込む姿にその場にいた全員が硬直した。
「どう……したんですかユキさん」
「どうもこうも!! 僕をどこに連れて行こうとしたの?! 僕を殺す気?!」
「は?」
「君たちはガスマスクしてるから平気なんだね……まさかまるで息が出来ない場所に連れてこられるとは思わなかった……」
「おいユキ……何を言ってるんだ?」
 オレがそう問いかけると、ユキはキッとオレを睨み、叫んだ。
「僕を騙したんだね! 僕を殺す気だったんだ!!」
「落ち着けよ! この中は空気清浄機の働く”都市”だ! 息が出来ないなんてそんなわけ無いだろう?!」
「嘘だ!」
 そういうなりユキはオレのガスマスクをもぎ取り、扉の中へと突き放した。オレはその勢いで背中を地面に強く打ったが、ユキが主張するように息が出来ない……なんてことは無い。騒ぎを聞き駆けつけた自警団も、当然ガスマスクなどつけてはいない。
「おい、どうしたんだ一体」
 自警団のトップであるうちの親父殿が事情を知っている機械技士部長へ事情を聞き始める。誰も彼も、扉の中ではガスマスクなどつけていない。その光景を、ユキは呆然と眺めていた。
「え……なん……で……」
「ユキ、大丈夫か? もう一度言うけど、この中は”都市”だ。別にお前を殺そうとしたわけじゃない。安全な場所に案内しようと思っただけだ……本当だ……」
「……でも、僕は、そこで、息が……できなかった」
「?!」
「君が言ったことも、しようとしたことも本当なんだろうけど、僕も本当なんだ! 信じてよ!」
「おい、ユキ落ち着け」
「ねえ! 君たちが平然と暮らせる場所で生きられないなら、君たちが言うように地上で生きられないなら、僕はどこで生きれば良いの?! 僕は誰なの?! ねえ、ねえ、教えてよねえ……」
 オレに縋り付くように泣き始めたユキを、オレは本当に可哀想に思った。先ほどの様子から、何故かは分からないがユキが都市の中で息が出来ないのは本当のことなのだろう。ギュッとユキを抱きしめて、オレはユキを拾ったことを後悔した。灰色に沈む廃墟の中、眠るように死なせてやれば良かった。まるで絵画のような美しい光景を壊さなければ良かった。美しいまま、死なせてやれば良かった。オレのせいでユキは苦しんで死ぬしか道は無くなってしまった。
「おい、そこのお前、都市で息が出来ないってのは本当か」
 事情を聞き終わったのであろう親父が、ユキに話しかけた。
「……本当、です」
「記憶がないのも?」
「本当です」
「都市で息が出来ないことに心当たりは?」
「ありません。僕は、彼女に……トモさんに起こされてからの記憶は一切無いです。どこで何をしていたのか、どのくらい前から地上にいたのか……まったく思い出せないです」
「そうか……」
 オレに抱きしめられながら、ユキはポツリポツリと親父の質問に答えた。オレは親父から守るようにユキをより強く抱きしめた。何故かは分からない。ただ、ユキをどうしたって死なせたくなかった。離したくなかった。親父をまっすぐに見据える。親父は何かを考えているようだった。多分、ユキを追放するつもりなのだろう。知らないうちに力一杯抱きしめてしまっていたらしい。ユキが小さく苦しいですと言った。急いで力を抜いて、ユキを見れば、涙に濡れて輝くオッドアイが綺麗だった。不安を滲ませながら、オレを見るユキをどうしたって守ってやりたかった。
「自警団団長として命じる。トモ、そいつを離せ。追放だ」
「そんな!」
「トモ、気持ちは分かるが、そんな得体の知れないやつを保護する義理はこちらには無い。どのみち都市に入れないならどうしようもないだろう」
「だけど……!」
「わかりました」
 オレの抗議を遮るように、ユキが叫んだ。声は震え、顔は恐怖に歪んでいるにも関わらず、その声は響き、その姿は美しかった。
「それしか……無いですもんね。お騒がせしてすみませんでした」
「おい……ユキ……!」
「トモさんも……ありがとうございました」
 そういった後、ユキは全員に頭を下げ、梯子を上っていった。オレはその後を追いかけようとしたが、親父に止められた。
「離せよクソ親父! この……おい! ユキ!!!」
「おい、機械技師部長。こいつは自警団でちょっと預かる。このままだと何しでかすか分かったもんじゃないからな」
「作業も中断させましたしね……でも間違ったことをトモはしてませんよ。何はともあれ程々によろしくお願いします」
 そんなこんなで、オレは丸一日牢屋に入れられた。親父はそういうとこ厳しい。見張りの自警団員はみんな同情して優しくしてくれたのがよけいに辛かった。夜が空け、迎えにきてくれたのはニードだった。
「トモ! お腹空いただろう? 大丈夫? あのクソ親父ホントいつかぶっ潰す……」
「いや、親父は間違ったことしてねえだろ……頭が冷えた。アレはオレが悪い……」
 一日牢屋にいたおかげでオレは気持ちを整理することが出来た。変に家に帰されていたら、ニードやマサ兄に甘やかされて、それこそ今でも気持ちに整理がつかなかっただろう。それだけならまだ良い。ユキの後を追って、エレベーターの修繕作業に支障が出たかもしれない。親父はそういうとこは厳しかったが、いつでも正しかった。
「ただいま」
「おう、お帰り馬鹿娘。頭は冷えたか」
「うん、ごめんなさい父さん」
「おぉきちんと反省しろ馬鹿娘。間違ってないことは正しいことじゃねえし、このご時世どうしようもないこともある。一つ大人になったと思え」
 その後、朝ご飯を食べて(親父が作ってくれたその日の朝ご飯はオレの好物ばかりだった)、もう今日から仕事に復帰していいと言われたので仕事に向かった。朝礼では、先輩も同僚も、優しくしてくれた。迷惑を起こしたことを誰も咎めなかった。優しい人ばかりだ。
 オレはその日も地上での作業を任された。昨日のこともあって、地上に出るのは少し辛かったが、地上に恐怖心を抱いていないオレは地上での作業を得意としていたので、仕方なかった。いつも通り作業を進め、休憩時間になり、携帯食料を齧りながら昨日と同じ場所を散歩する。ただ、昨日とは違い、スコップを持っていった。朝礼のときにそれを見ていた機械技師部長は、地上班の指揮者にオレの休憩時間を延ばすよう言ってくれた。オレは、ユキの死体を探すつもりだった。ユキの死体を見つけたら、埋めて簡単だけど墓を作ってやろうと思ったんだ。
 昨日、ユキを見つけた場所まで来ても、ユキは見つからなかった。喉が渇いたから適当な場所に座って水を飲む。不意に声が聞こえた。
「水……水くださぁい……」
 最初は幻聴だと思った。ユキの声だったから。ユキを助けられず、後悔にまみれたオレの幻聴だと。
「トモさん……水……ください……」
 そう言うなり、後ろから水筒をふんだくられて、ようやくそれが幻聴ではないことを知った。
「な……んで……?」
「ぷはぁ生き返ったー!!! でもお腹は満たされないー!!!」
「いやいや、のどが乾いてるとか腹減ってるとか、そういうのどうでも良いっつーの! なんで生きてるんだよ?!」
「なっ、まるで死んでいて欲しかったかのような反応だね?!」
「いや、そうじゃなくて!!」
 だけど、もうそれ以上言葉にならなかったから、ユキを抱きしめた。
「生きてて……生きててくれて、本当に良かった……」
「へっ……昨日も思ったんですけど、トモさん同性愛者なんです?」
「どうしてそうなる!」
「いやあ、だって、あったばかりの見ず知らずの相手にそこまで感情移入する普通? いや、するのかな? 僕記憶無いからなあ」
「あー……いやしないな普通。だけど、なんだ、まぁ、なんつーか、お前はさ、何となくこれからずっと一緒にいたいと思えたんだよ。何故か」
「はぁ、そんなもん?」
「そんなもん……っていうか、ユキ、お前喉とか痛くねえの?」
「別に痛くないけど? そうだ! 昨日さんざん地上で生きられないって言ってたけど、別に何ともないよ?!」
「なっ、そんなはず……」
「それとも、これから症状が出る……とか?」
「いや、普通は30分くらいで喉や鼻……粘膜のいたるところが痛くなる。一時間もいりゃあ後遺症が残っちまうし、半日もマスク無しで外に出りゃヘタすりゃ死んじまう。まして、一日マスクをつけずに外にいて無事だったやつなんて、そんなやついねえよ」
「でも、現に僕は何ともない……」
「……一週間、一週間様子を見よう。水と食べ物持ってきてやるからここに隠れてろ。もし、もしも、仮に、お前が地上にいてなんともない特殊体質なのだとしたら、何かしらに使えるかもしれねえから、生活の援助とかしてもらえるかもしれない」
「……そうじゃなかったら?」
「もし、そうならなかったら、まあ、オレが匿うなり、他の都市に行くなりしろよ。ただ、もし、お前が研究対象になって……実験体として扱われそうになったら……全力で、どんな手を使ってでも逃がしてやるから逃げろ」
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
「さっきも言ったろ。なんとなく、お前とはずっと一緒に居たいと思えた……簡単に言えば、友達になりたいのかな」
「友達……友達、か、そっか」

「……まぁ、その後のことは省略しちまうけど、まあなんだかんだでユキの自警団入りが認められた。そこは親父が色々手を回してくれたらしいんだけど、オレは良く知らないんだ。親父はそういうところ甘いんだよなあ。で、今に至る、ってわけだ」
「地上にいて何ともないやつが一人いりゃ、そりゃあ色々と便利だしな」
「トモちゃんとユキちゃんってそうやって出会ったんだね! 僕とガミ君みたい!」
「というと?」
「僕もねえ、ガミ君に拾われてね、最初僕の容態酷かったんだけど、ガミ君がかんもごもご」
「おい、余計なこと喋ってんじゃねえぞサヨ」
「目の前で人死なれちゃ目覚めわりぃしなあ」
「そういうこった」
「でも僕は嬉しかったよ」
「そーかそーか」

(34番都市のガミ君とサヨ君とトモの昔話)