イサクさんの昔話
「地上を旅するのも、地下を探検するのも、良いものよ」
そう言って笑った彼女の事を、今でも良く思い出す。
商売をする事を生き甲斐としていた彼女に惚れたのは、俺の人生の最大の失敗で最大の幸福であったと俺はつくづく思う。彼女との間に生まれた子供は二人とも恐ろしいくらいに愛おしく、彼女と生きた十数年は今でも色あせず、美しい。豊かな黒髪と、美しい外見は13番都市でも有名で、街の復興がまだあまり進んでなかったあの頃、彼女のような商売人がいた事は13番都市にとって、とても幸福な事だった。彼女の笑みとセールストークは神懸かり的で、いくつもの取引を成立させた。俺は、そんな風に働く彼女を守りたいと思い、気づけば恋に落ちていた。
結婚までこぎ着けるのは難しくなかった。当時は都市の将来を担う子供が特に強く望まれていたから、未婚の若い男女は何かにつけて結婚するように迫られたものだ。彼女は、商売一筋で恋愛になんて微塵も興味を持たなかったから、俺がプロポーズしたら二つ返事で引き受けてくれたよ。そんなわけで結婚したが、子供を生まないというのは本末転倒だろ? だから結婚してすぐに下世話な話かもしれないが俺たちは子づくりに励んだ。とりあえず一人は生んでおこうというわけだ。こんな事を言ったら、世の親から非難を浴びそうだが、当時はそんな心づもりで子供を作ろうとした。そうして、ニードが生まれた。おぎゃあと産声を上げた顔はしわくちゃで、生まれたばかりの子供というのはあまり可愛くないものなのだと、そんときは思ったな。だが、彼女は……やはり母親というものは違うのだろう。ぎゃあぎゃあ泣くしわくちゃの顔をしたその、人としてまだ未熟な存在を愛おしげに抱きしめていた。そして、俺は思ったね。そうか、こういう事が家族になるという事なのかと。
だけどな、彼女の商売への気概というのは子供への愛情を凌駕していたらしい。産後、体調が戻って間もなく意気揚々と商売をしに出かけていった。そんなもんで、ニードはほとんど俺の腕の中で育った。だが、彼女は帰ってくるとすぐにニードの元ヘ行き、会えなかった時間を埋めるように強く抱きしめ、まだ言葉も分からないであろうニードに仕事の話を延々と聞かせ続けた。子供への愛情が無かったわけではないんだ。ただ、彼女は商売の為に生まれてきた。
ニードが成長するにつれて、ニードの異常性が目につくようになった。髪や肌は白く、多くのアレルギーや喘息に悩まされた。それでも彼女は商売に足を運んだ。帰ってくるたびに薬や、病状に関する本を持って帰ってきた。ニードを抱きしめながら泣いている姿を良く見かけた。自分が、良く地上に出て汚染された空気を人よりも体内に蓄積してるから、自分の子供が病弱に生まれてきてしまったのだと良く自分を責めていた。事実、それは正しいと思う。彼女が二人目は作らないと泣きながら俺に訴えた日、俺はただ彼女を抱きしめる事しか出来なかった。ただ、この家族だけは全力で守ろうと思った。
何度も命を落としかけても、ニードはなんとか育っていった。熱を出す度に、お母さん、お母さんと彼女を呼ぶ姿が不憫だった。帰ってくるたびにごめんね、と謝る彼女に、微笑みを返して、帰ってきてくれてありがとうお母さんと返す我が子の健気さに、俺はニードが生まれる前の、我が子に対して不誠実だった自分を殴りたくなる衝動に駆られた。一度、寂しくないのかと俺はニードに聞いた事がある。ニードはこう返してきた。
「だって、お母さんはそういう人で、お父さんはお母さんのそういうところが好きなんでしょう?」
子供とは、悲しいくらいに聡く、親の事を理解する生きものだという事を思い知らされたな。
街の復興は進み、今と同じくらい情勢が落ち着いた頃、中央政議会から最低二人は子供を産むように通達がきた。彼女は顔をさっと青くしてその通達を受け取った。それに不安を覚えたらしいニードがその通達の内容を訪ねてきたときに、俺はなんて答えようか迷った。噛み砕いて、もう一人子供を産むように言われた事を伝えると、ニードは無邪気に喜んだ。ぼくにも弟か妹が出来るんだね! もうこれで寂しくなくなるね! そうやって、無邪気に笑ってみせた。彼女は、それを見て泣き崩れてしまったよ。気持ちは、少しだけ俺にも分かった。子供を病弱に生み、さらに子供の育児を半分以上ほっぽり出して、彼女は商売に足を運び続けた。その結果がニードのこの笑顔だ。子供ってもんは、生半可な気持ちで作るもんじゃねえよ。親の命は一度きりなんだから、そんなに子供に人生捧げる必要が無い、なんてえ事をたまに聞くが、そいつぁぜってえ違うね。俺は断言する。俺らの命もそりゃあ一度きりだよ。だがな、その子供の命だって一度きりだ。俺らはどうやって育った? そうやって人生捧げてもらってようやく一人前になったんだ。人生のな、数十年くらい子供生むと決めたら気前良く捧げにゃいかんよ。
あぁ、話がそれたな。まあ結果としてお前さんが知るように、俺たちはもう一人子供を作る決心をした。今度は、ニードのときのように建前だけで作っておこうという気持ちじゃなく、きちんと、どういう風に生まれようと精一杯愛してあげようと決めて生んだ。
おぎゃあと泣いて、生まれてきてくれたときは、ニードにゃ悪いが俺は今度こそ嬉しかったよ。うっすらと赤く光る髪が目立つようになってきた頃、最初にトモが目を開けたとき、真っ赤な瞳が覗いたときは肝が冷えたもんだが、元気に育ってくれて、俺は神様ってのはいるもんだなとか思っちまったもんだ。
でもな、神様っちゅーのはちゃんと見ててくれるもんでな、今度こそ子供二人に愛情を捧げようと決めて、最後の行商をしに彼女が地上へ出た日、彼女のマスクは壊れ、彼女は死んだ。ニードはな、それを聞いた時泣かなかったよ。
「お母さんは、商売をする為に生まれてきた人だったから、商売をやめようと思った時点で役目が終わっちゃったんだよ」
ニードはそう、ぽつりと呟いた。自分を半分ほっぽり出すように自分の人生を生きた母親をこれっぽっちも恨まなかったんだ。自分を、まだ幼い娘を残して逝った自分勝手な母親を少しも恨まなかった。俺も、悲しみはしたが、あぁ彼女らしいと思ったよ。
それからしばらくして、一組の家族が13番都市のドアを叩いた。母親と父親はもう汚染も末期で助かる見込みは無かったが、両親が必死に守った甲斐もあって息子の方は少し弱ってはいるものの安静にすれば回復する見込みだった。必死に息子だけは助けてくださいと言いながら息を引き取っていった二人に、さて、その幼い子供をどうするか。会議にかける前に、俺が引き取ると宣言した。トモと変わらない年の子供が、動かない父親と母親をじいっと見て不思議そうに見つめているのを見ると、どうしても放っておけなかった。彼女の同僚から聞いた彼女の死の間際を想う。親というのは複雑な生きものなのだ。ただ、我が子を守り抜いたこの二人の命を無駄にはしたくなかった。
「よう、坊主」
「……ねえ、おじさん。おとうさんとおかあさん、うごかない」
「……お前、名前は」
「……まさき」
「お前の父ちゃんと母ちゃんは、疲れて寝ちまった……いや、すまん。これは嘘だな。お前の父ちゃんと母ちゃんはな、お前を守って死んじまったよ」
「どうして?」
「自分より、世界の何より、お前の事が大切だったんだろうよ」
「死んじゃやだ」
「もう遅い」
そうしてわんわん泣き出したマサキを街の奴らはこぞって慰めた。俺に対する避難はそれ以上に半端無かったけどな。
「……おじさん」
「おじさんじゃねえよ。俺はイサクさんだ」
「ねえ、イサクさん。おれ、どうなるの?」
「俺んちに来い。お前と変わらねえ年の生意気な妹と変に大人びた兄を紹介してやるよ。今日からお前の家族だ」
そうして、大人しくつれられるマサキは俺が知る中で一番静かだったな。
「よーうし、俺の可愛い子供達よ。よおく聞けー」
「父さんお帰り。どうしたの?」
「お前達の新しい兄弟だ」
そういって、マサキをニードとトモの前にずずいっと出したときのニードの顔は今思い出してもかなり笑えるぜ? ぽかんと口を開けて、マサキと俺の顔を交互に見て信じられないと口で言うよりも雄弁にその表情で語ってたな。マサキは、借りてきた猫のように怯えていた。まあ、両親が死んだその日にその死を悼む暇もなく知らないやつに知らない家につれられ、知らない子供を今日からお前の兄妹だって紹介されたらそりゃあまあ、そうなるな。
「えっ、ちょっと父さんどういうこと?! 誰この子?!」
「こいつか? こいつはマサキ。今日からお前の弟だ」
「は? え? ちょっと、どこからつれてきたのさ……あ、まさか隠し子とか言わないよね? さすがに怒るよ?」
「それはねえよ! 俺はお前の母さん一筋だっての!!」
とかなんとか俺とマサキがぎゃあぎゃあやってるうちに、まだ幼いトモがてぽてぽとマサキに歩み寄ってたらしく。
「おにーちゃんだあれ?」
「え、あ……」
そういいながら、トモのやつは、にこおっと幼いやつ特有の無邪気な満面の笑みを浮かべててだな。
「えっと、そうか! ひとになまえをたずねるときはじぶんからなんだよね、おとうさん!」
「お、おう。そうだぞーえらいぞートモ。ちゃんと自己紹介できるか?」
「できる! えっとねぇ、トモはねぇ、トモっていうんだよ! としはね、さんさい!」
「よーしよしえらいぞー。さてニードお兄ちゃんも自己紹介タイムだー」
「説明面倒だから投げたね父さん……まあいいや。おれはニード。世界一可愛いトモの兄で、そこの駄目親父の息子。おれもトモもちょっと変わった髪色と目の色してるけど、怖がらないでね。ちょっとした汚染の影響ってやつらしいから。そして、今日から君の家族……になるのかな」
「あ……えっと……」
「大丈夫。君の名前だけでいから教えてくれるかな? そしたら、ご飯できてるから一緒に食べようか。時間はこれからいくらでもあるからね。とりあえず今日はお休みしよう?」
「うん。おれは、マサキっていいます」
「そっか。よろしく、マサキ」
その日はそうして、一緒に飯食って一先ず空いてた部屋を軽く掃除してマサキからトモをひっぺがしてマサキを一人にしてやった。トモはアレで結構空気が読めないところがあるから、ほっといたらマサキをかまい倒してたろうよ。あの時のマサキには一人にしてやる時間が必要だった。
まあ、そんなもんで、トモがマサキをいたく気に入った事もあってマサキはどんどん家に溶け込んでいった。ニードも、幼少期の寂しさからかな。面倒見がとても良く育ったからまるで本当の兄弟のように見えるようになるまで時間はかからなかった。
そこまで話して、俺はもう一本タバコに火をつけた。
「……で、その話とイサクさんが地上で、しかもこんな街から離れた場所でわざわざマスク外してまでタバコ吸ってる理由にはならないんですけれど」
「はっはっは口止め料ってやつだ。あいつらの昔話が聞けて良かっただろう?」
「いやまあ、それはそうですけど!」
ぷくーっと頬を膨らませて、ユキが怒っている。とは言え、そんな可愛くぷりぷりされても怖くも何ともない。っつーか、和むくらいだけどな。
「しかしお前さん、こんな遠くまで散歩にくるんだなあ」
「暇ですから。で、結局イサクさんはなんでこんなところでタバコ吸ってるんですか。めっちゃ貴重品でしょうタバコって」
「おー……まあな。年に一度の贅沢だ」
「……そんなお金どこから出してるんですかもう」
「アイナの遺産」
「おい」
「はっはっは」
「笑い事じゃないですよもう! トモとかマサキくんに告げ口してやりますから!!」
「おーうそれは困るなー」
「……はぁ。トモ達は知ってるんですね、この事」
「何でそう思う?」
「困った顔してませんよ、イサクさん」
そういうユキは呆れた顔をしていて、俺はまた笑った。アイナと一緒に過ごした時間は俺にとって宝物だ。かけがえのない時間だ。そしてアイナは俺が世界で一番愛した女だ。そして、アイナが遺した二人の子供は俺が世界で一番大切な存在だ。アイナを喪った悲しみを癒したのはニードとトモだ。アイナを喪った日、俺はアイナと出会った事を後悔しそうになった。だが、悲しみを必死に堪えるニードと、母親を喪った事も分からずに、ただ、大好きな兄が自分をだっこしてくれてるというだけで幸せそうに笑ってるトモを見て、俺はこの二人の親になれた事に感謝した。そして、アイナという母親を持った事で俺の世界で一番大切な存在に寂しい思いをさせてしまった事を申し訳なく思う。それから、マサキは俺が一番信頼する男だ。両親を目の前で失った悲しみを乗り越えて、それでも自分の足で立ちしっかり前を見据えて歩こうという意志を持った男の、育ての親である事を誇りに思う。
「はははっ、そうか……困った顔してなかったか」
「してませんでしたよ。幸せそうな顔しちゃってまったく……」
「そうだなあ。人は最愛の人を喪っても、生きていけるし、笑えるし、幸せを感じるし、誰かをまた愛する事が出来るもんなんだと実感しててな」
「なんですかそれ」
「まあ、それでもやっぱり、一番愛おしいのはアイナだけどな」
「何故そこで惚気る」
「そんでまあ、お前さんは俺にとって一番面白いやつだよ」
「褒められてるのか貶されてるのか」
「褒めてる褒めてる。めっちゃ褒めてる」
なあ、アイナ。お前を喪ってもなお、13番都市は変わる事無く進んだな。街はもうかなり復興も進んだし、色んなやつも増えた。俺も、大切に思えるやつが随分と増えたよ。親になるって言うのは、次の世代を育てる側に回るという事なんだとこの歳になって痛感する。子供達に近い歳のやつはみんな愛しく思えるし、それが希望ってやつなんだと俺は思うよ。アイナ、出来ればお前とそれを感じていたかった。
「昔よお、アイナが突然俺にタバコを土産に寄越した事があったんだ」
「はあ」
「今でも覚えてる。イサクにはタバコが絶対似合うと思って奮発しちゃった! ねえ、吸ってみてよ! 絶対カッコいいから! って商売ごと以外じゃ珍しくはしゃいでな」
「……はい」
「まあ、実際吸ってみたら苦ぇし苦しいしで咳き込んじまって格好良さの欠片も無かったがな。でも何故かアイナはそれがいたく気に入ったみたいで、事あるごとに煙草を買ってきやがった」
「変わった人ですね」
「あぁ、変なやつだった」
「それで?」
「ん、あぁ、だもんでなんだかんだで俺もタバコに慣れましたとさ。ちゃんちゃん」
「で?」
「いやだから……」
「それで?」
「はいはいもう仕方ねえなあもう……ここは、アイナが死んだ場所なんだと」
「そう、なんですか」
「んで、今日はアイナの命日だ」
「という事は」
「まあ、墓参りってやつに似てるな。アイツがあまりにも俺がタバコ吸ってる姿を気に入ってたから年に一回ここにタバコ吸いに来てんだよ」
「それは……知らなかったとは言えお邪魔しちゃってすみませんでした」
「いいや気にしなさんな。トモの友達を見れてアイツもきっと喜んでるさ。子供に愛情を注いでやれなかった事をいつも悔いてたからな」
「はい、ありがとうございます」
「で、この事はやっぱり告げ口するのか?」
「いいえ。もう十分口止め料は戴きましたから」
「そうか」
「はい」
(彼女のいなくなった世界を今日も生きる)
ユキとイサクと昔話
そう言って笑った彼女の事を、今でも良く思い出す。
商売をする事を生き甲斐としていた彼女に惚れたのは、俺の人生の最大の失敗で最大の幸福であったと俺はつくづく思う。彼女との間に生まれた子供は二人とも恐ろしいくらいに愛おしく、彼女と生きた十数年は今でも色あせず、美しい。豊かな黒髪と、美しい外見は13番都市でも有名で、街の復興がまだあまり進んでなかったあの頃、彼女のような商売人がいた事は13番都市にとって、とても幸福な事だった。彼女の笑みとセールストークは神懸かり的で、いくつもの取引を成立させた。俺は、そんな風に働く彼女を守りたいと思い、気づけば恋に落ちていた。
結婚までこぎ着けるのは難しくなかった。当時は都市の将来を担う子供が特に強く望まれていたから、未婚の若い男女は何かにつけて結婚するように迫られたものだ。彼女は、商売一筋で恋愛になんて微塵も興味を持たなかったから、俺がプロポーズしたら二つ返事で引き受けてくれたよ。そんなわけで結婚したが、子供を生まないというのは本末転倒だろ? だから結婚してすぐに下世話な話かもしれないが俺たちは子づくりに励んだ。とりあえず一人は生んでおこうというわけだ。こんな事を言ったら、世の親から非難を浴びそうだが、当時はそんな心づもりで子供を作ろうとした。そうして、ニードが生まれた。おぎゃあと産声を上げた顔はしわくちゃで、生まれたばかりの子供というのはあまり可愛くないものなのだと、そんときは思ったな。だが、彼女は……やはり母親というものは違うのだろう。ぎゃあぎゃあ泣くしわくちゃの顔をしたその、人としてまだ未熟な存在を愛おしげに抱きしめていた。そして、俺は思ったね。そうか、こういう事が家族になるという事なのかと。
だけどな、彼女の商売への気概というのは子供への愛情を凌駕していたらしい。産後、体調が戻って間もなく意気揚々と商売をしに出かけていった。そんなもんで、ニードはほとんど俺の腕の中で育った。だが、彼女は帰ってくるとすぐにニードの元ヘ行き、会えなかった時間を埋めるように強く抱きしめ、まだ言葉も分からないであろうニードに仕事の話を延々と聞かせ続けた。子供への愛情が無かったわけではないんだ。ただ、彼女は商売の為に生まれてきた。
ニードが成長するにつれて、ニードの異常性が目につくようになった。髪や肌は白く、多くのアレルギーや喘息に悩まされた。それでも彼女は商売に足を運んだ。帰ってくるたびに薬や、病状に関する本を持って帰ってきた。ニードを抱きしめながら泣いている姿を良く見かけた。自分が、良く地上に出て汚染された空気を人よりも体内に蓄積してるから、自分の子供が病弱に生まれてきてしまったのだと良く自分を責めていた。事実、それは正しいと思う。彼女が二人目は作らないと泣きながら俺に訴えた日、俺はただ彼女を抱きしめる事しか出来なかった。ただ、この家族だけは全力で守ろうと思った。
何度も命を落としかけても、ニードはなんとか育っていった。熱を出す度に、お母さん、お母さんと彼女を呼ぶ姿が不憫だった。帰ってくるたびにごめんね、と謝る彼女に、微笑みを返して、帰ってきてくれてありがとうお母さんと返す我が子の健気さに、俺はニードが生まれる前の、我が子に対して不誠実だった自分を殴りたくなる衝動に駆られた。一度、寂しくないのかと俺はニードに聞いた事がある。ニードはこう返してきた。
「だって、お母さんはそういう人で、お父さんはお母さんのそういうところが好きなんでしょう?」
子供とは、悲しいくらいに聡く、親の事を理解する生きものだという事を思い知らされたな。
街の復興は進み、今と同じくらい情勢が落ち着いた頃、中央政議会から最低二人は子供を産むように通達がきた。彼女は顔をさっと青くしてその通達を受け取った。それに不安を覚えたらしいニードがその通達の内容を訪ねてきたときに、俺はなんて答えようか迷った。噛み砕いて、もう一人子供を産むように言われた事を伝えると、ニードは無邪気に喜んだ。ぼくにも弟か妹が出来るんだね! もうこれで寂しくなくなるね! そうやって、無邪気に笑ってみせた。彼女は、それを見て泣き崩れてしまったよ。気持ちは、少しだけ俺にも分かった。子供を病弱に生み、さらに子供の育児を半分以上ほっぽり出して、彼女は商売に足を運び続けた。その結果がニードのこの笑顔だ。子供ってもんは、生半可な気持ちで作るもんじゃねえよ。親の命は一度きりなんだから、そんなに子供に人生捧げる必要が無い、なんてえ事をたまに聞くが、そいつぁぜってえ違うね。俺は断言する。俺らの命もそりゃあ一度きりだよ。だがな、その子供の命だって一度きりだ。俺らはどうやって育った? そうやって人生捧げてもらってようやく一人前になったんだ。人生のな、数十年くらい子供生むと決めたら気前良く捧げにゃいかんよ。
あぁ、話がそれたな。まあ結果としてお前さんが知るように、俺たちはもう一人子供を作る決心をした。今度は、ニードのときのように建前だけで作っておこうという気持ちじゃなく、きちんと、どういう風に生まれようと精一杯愛してあげようと決めて生んだ。
おぎゃあと泣いて、生まれてきてくれたときは、ニードにゃ悪いが俺は今度こそ嬉しかったよ。うっすらと赤く光る髪が目立つようになってきた頃、最初にトモが目を開けたとき、真っ赤な瞳が覗いたときは肝が冷えたもんだが、元気に育ってくれて、俺は神様ってのはいるもんだなとか思っちまったもんだ。
でもな、神様っちゅーのはちゃんと見ててくれるもんでな、今度こそ子供二人に愛情を捧げようと決めて、最後の行商をしに彼女が地上へ出た日、彼女のマスクは壊れ、彼女は死んだ。ニードはな、それを聞いた時泣かなかったよ。
「お母さんは、商売をする為に生まれてきた人だったから、商売をやめようと思った時点で役目が終わっちゃったんだよ」
ニードはそう、ぽつりと呟いた。自分を半分ほっぽり出すように自分の人生を生きた母親をこれっぽっちも恨まなかったんだ。自分を、まだ幼い娘を残して逝った自分勝手な母親を少しも恨まなかった。俺も、悲しみはしたが、あぁ彼女らしいと思ったよ。
それからしばらくして、一組の家族が13番都市のドアを叩いた。母親と父親はもう汚染も末期で助かる見込みは無かったが、両親が必死に守った甲斐もあって息子の方は少し弱ってはいるものの安静にすれば回復する見込みだった。必死に息子だけは助けてくださいと言いながら息を引き取っていった二人に、さて、その幼い子供をどうするか。会議にかける前に、俺が引き取ると宣言した。トモと変わらない年の子供が、動かない父親と母親をじいっと見て不思議そうに見つめているのを見ると、どうしても放っておけなかった。彼女の同僚から聞いた彼女の死の間際を想う。親というのは複雑な生きものなのだ。ただ、我が子を守り抜いたこの二人の命を無駄にはしたくなかった。
「よう、坊主」
「……ねえ、おじさん。おとうさんとおかあさん、うごかない」
「……お前、名前は」
「……まさき」
「お前の父ちゃんと母ちゃんは、疲れて寝ちまった……いや、すまん。これは嘘だな。お前の父ちゃんと母ちゃんはな、お前を守って死んじまったよ」
「どうして?」
「自分より、世界の何より、お前の事が大切だったんだろうよ」
「死んじゃやだ」
「もう遅い」
そうしてわんわん泣き出したマサキを街の奴らはこぞって慰めた。俺に対する避難はそれ以上に半端無かったけどな。
「……おじさん」
「おじさんじゃねえよ。俺はイサクさんだ」
「ねえ、イサクさん。おれ、どうなるの?」
「俺んちに来い。お前と変わらねえ年の生意気な妹と変に大人びた兄を紹介してやるよ。今日からお前の家族だ」
そうして、大人しくつれられるマサキは俺が知る中で一番静かだったな。
「よーうし、俺の可愛い子供達よ。よおく聞けー」
「父さんお帰り。どうしたの?」
「お前達の新しい兄弟だ」
そういって、マサキをニードとトモの前にずずいっと出したときのニードの顔は今思い出してもかなり笑えるぜ? ぽかんと口を開けて、マサキと俺の顔を交互に見て信じられないと口で言うよりも雄弁にその表情で語ってたな。マサキは、借りてきた猫のように怯えていた。まあ、両親が死んだその日にその死を悼む暇もなく知らないやつに知らない家につれられ、知らない子供を今日からお前の兄妹だって紹介されたらそりゃあまあ、そうなるな。
「えっ、ちょっと父さんどういうこと?! 誰この子?!」
「こいつか? こいつはマサキ。今日からお前の弟だ」
「は? え? ちょっと、どこからつれてきたのさ……あ、まさか隠し子とか言わないよね? さすがに怒るよ?」
「それはねえよ! 俺はお前の母さん一筋だっての!!」
とかなんとか俺とマサキがぎゃあぎゃあやってるうちに、まだ幼いトモがてぽてぽとマサキに歩み寄ってたらしく。
「おにーちゃんだあれ?」
「え、あ……」
そういいながら、トモのやつは、にこおっと幼いやつ特有の無邪気な満面の笑みを浮かべててだな。
「えっと、そうか! ひとになまえをたずねるときはじぶんからなんだよね、おとうさん!」
「お、おう。そうだぞーえらいぞートモ。ちゃんと自己紹介できるか?」
「できる! えっとねぇ、トモはねぇ、トモっていうんだよ! としはね、さんさい!」
「よーしよしえらいぞー。さてニードお兄ちゃんも自己紹介タイムだー」
「説明面倒だから投げたね父さん……まあいいや。おれはニード。世界一可愛いトモの兄で、そこの駄目親父の息子。おれもトモもちょっと変わった髪色と目の色してるけど、怖がらないでね。ちょっとした汚染の影響ってやつらしいから。そして、今日から君の家族……になるのかな」
「あ……えっと……」
「大丈夫。君の名前だけでいから教えてくれるかな? そしたら、ご飯できてるから一緒に食べようか。時間はこれからいくらでもあるからね。とりあえず今日はお休みしよう?」
「うん。おれは、マサキっていいます」
「そっか。よろしく、マサキ」
その日はそうして、一緒に飯食って一先ず空いてた部屋を軽く掃除してマサキからトモをひっぺがしてマサキを一人にしてやった。トモはアレで結構空気が読めないところがあるから、ほっといたらマサキをかまい倒してたろうよ。あの時のマサキには一人にしてやる時間が必要だった。
まあ、そんなもんで、トモがマサキをいたく気に入った事もあってマサキはどんどん家に溶け込んでいった。ニードも、幼少期の寂しさからかな。面倒見がとても良く育ったからまるで本当の兄弟のように見えるようになるまで時間はかからなかった。
そこまで話して、俺はもう一本タバコに火をつけた。
「……で、その話とイサクさんが地上で、しかもこんな街から離れた場所でわざわざマスク外してまでタバコ吸ってる理由にはならないんですけれど」
「はっはっは口止め料ってやつだ。あいつらの昔話が聞けて良かっただろう?」
「いやまあ、それはそうですけど!」
ぷくーっと頬を膨らませて、ユキが怒っている。とは言え、そんな可愛くぷりぷりされても怖くも何ともない。っつーか、和むくらいだけどな。
「しかしお前さん、こんな遠くまで散歩にくるんだなあ」
「暇ですから。で、結局イサクさんはなんでこんなところでタバコ吸ってるんですか。めっちゃ貴重品でしょうタバコって」
「おー……まあな。年に一度の贅沢だ」
「……そんなお金どこから出してるんですかもう」
「アイナの遺産」
「おい」
「はっはっは」
「笑い事じゃないですよもう! トモとかマサキくんに告げ口してやりますから!!」
「おーうそれは困るなー」
「……はぁ。トモ達は知ってるんですね、この事」
「何でそう思う?」
「困った顔してませんよ、イサクさん」
そういうユキは呆れた顔をしていて、俺はまた笑った。アイナと一緒に過ごした時間は俺にとって宝物だ。かけがえのない時間だ。そしてアイナは俺が世界で一番愛した女だ。そして、アイナが遺した二人の子供は俺が世界で一番大切な存在だ。アイナを喪った悲しみを癒したのはニードとトモだ。アイナを喪った日、俺はアイナと出会った事を後悔しそうになった。だが、悲しみを必死に堪えるニードと、母親を喪った事も分からずに、ただ、大好きな兄が自分をだっこしてくれてるというだけで幸せそうに笑ってるトモを見て、俺はこの二人の親になれた事に感謝した。そして、アイナという母親を持った事で俺の世界で一番大切な存在に寂しい思いをさせてしまった事を申し訳なく思う。それから、マサキは俺が一番信頼する男だ。両親を目の前で失った悲しみを乗り越えて、それでも自分の足で立ちしっかり前を見据えて歩こうという意志を持った男の、育ての親である事を誇りに思う。
「はははっ、そうか……困った顔してなかったか」
「してませんでしたよ。幸せそうな顔しちゃってまったく……」
「そうだなあ。人は最愛の人を喪っても、生きていけるし、笑えるし、幸せを感じるし、誰かをまた愛する事が出来るもんなんだと実感しててな」
「なんですかそれ」
「まあ、それでもやっぱり、一番愛おしいのはアイナだけどな」
「何故そこで惚気る」
「そんでまあ、お前さんは俺にとって一番面白いやつだよ」
「褒められてるのか貶されてるのか」
「褒めてる褒めてる。めっちゃ褒めてる」
なあ、アイナ。お前を喪ってもなお、13番都市は変わる事無く進んだな。街はもうかなり復興も進んだし、色んなやつも増えた。俺も、大切に思えるやつが随分と増えたよ。親になるって言うのは、次の世代を育てる側に回るという事なんだとこの歳になって痛感する。子供達に近い歳のやつはみんな愛しく思えるし、それが希望ってやつなんだと俺は思うよ。アイナ、出来ればお前とそれを感じていたかった。
「昔よお、アイナが突然俺にタバコを土産に寄越した事があったんだ」
「はあ」
「今でも覚えてる。イサクにはタバコが絶対似合うと思って奮発しちゃった! ねえ、吸ってみてよ! 絶対カッコいいから! って商売ごと以外じゃ珍しくはしゃいでな」
「……はい」
「まあ、実際吸ってみたら苦ぇし苦しいしで咳き込んじまって格好良さの欠片も無かったがな。でも何故かアイナはそれがいたく気に入ったみたいで、事あるごとに煙草を買ってきやがった」
「変わった人ですね」
「あぁ、変なやつだった」
「それで?」
「ん、あぁ、だもんでなんだかんだで俺もタバコに慣れましたとさ。ちゃんちゃん」
「で?」
「いやだから……」
「それで?」
「はいはいもう仕方ねえなあもう……ここは、アイナが死んだ場所なんだと」
「そう、なんですか」
「んで、今日はアイナの命日だ」
「という事は」
「まあ、墓参りってやつに似てるな。アイツがあまりにも俺がタバコ吸ってる姿を気に入ってたから年に一回ここにタバコ吸いに来てんだよ」
「それは……知らなかったとは言えお邪魔しちゃってすみませんでした」
「いいや気にしなさんな。トモの友達を見れてアイツもきっと喜んでるさ。子供に愛情を注いでやれなかった事をいつも悔いてたからな」
「はい、ありがとうございます」
「で、この事はやっぱり告げ口するのか?」
「いいえ。もう十分口止め料は戴きましたから」
「そうか」
「はい」
(彼女のいなくなった世界を今日も生きる)
ユキとイサクと昔話