少女は星に思い出を抱く

「あなた、星の終わりを見たことがあって?」
 二月の、冬の寒さが身に染みる夕暮れ時の路地裏で少女が声をかけてきた。
 陽が落ち、夜の訪れを祝うように茜色から透き通った冬の青へと空は美しい色の変移をみせてくれる。もうじき空は深い紫紺の闇へと沈み、星々が瞬く静かな世界が訪れるだろう。静かな世界と目の前の少女は実に似つかわしい。少女の、その透明さは冬の夜に実に良く似合う。
「ネエ、聞いてるの?」
 少し不満げにその少女はもう一度声をかけてくる。聞いているのかと訊ねられても、見も知らぬ少女にいきなり声をかけられたところで如何様にして反応を返せば良いのか途方にくれてしまう。ただ黙って彼女と空の相似性を想っていると彼女はため息をついてから今度は問いを変えてまた声をかけた。
「星の乳は? 飲んだ事ある?」
 不思議な事を訊ねてくる少女だ。星の終わりはともかく、星の乳とは何だろう。分からないものに首を縦には振れず、ようやく首を横に振るだけの簡単な反応を返すと、彼女は微笑みを返してきた。
「そう。それは残念ね。星の乳はとっても甘いのよ。あら、今は飲めないわ。夏にね、空から汲んでくるの。でも、最近は駄目ね。すっかり空気も濁ってしまって美味しくなくなってしまったの。だからかしら、あなたが飲んだ事が無いのも。それなら納得だわ」
 彼女は少女らしい無邪気な笑みをきらきらと零しながら楽しそうに話す。陽はもう大分落ちて、視界の下に輝く黄金が闇に呑まれようとしている。
「ブラックホオルは見た事があって? 私ね、一度だけ見た事があるのよ。光すら飲み込んでしまって、出て来れないから普通は見えないのだけれど。あの時はね、星がね、突然すうって消えたからこれはいけないわって思って急いで逃げたのだから。きっとアレはブラックホオルだったわ。そうだわ、アンドロメダに顔を埋めた事はあるかしら? 良いにおいがしてふわふわで、とてもステキなのよ。太陽の御側を通った事もあるわ。だけど駄目ね、その時は太陽もとっても不機嫌で危うく燃えてしまうところだった」
 いつまでそうして彼女の話しを聞いていただろうか。ついに陽は落ちきって、街頭がぽつん、ぽつん、と寂しげに光を落とす。
「おまえは帰らなくて良いの?」
 まだもう少し、この少女の話しを聞いてあげたい気持ちもあったが、もうそろそろ家に帰してあげないとマズイと思って少女の話しを遮って訊ねてみる。
「もう辺りはこんなにまっ暗だ。良ければ家まで送っていってあげるから、そろそろ帰った方が良いんじゃないかな」
「ネエ、あなた。星の終わりを見た事があって?」
 けれども少女は、スッと真面目な表情になって、一番最初の問いを投げてきた。このままでは埒があかないと思って、ないよ、とだけ短く返した。そうしたら彼女もやっぱり短く、そう、とだけ返して、今度はむっつりと黙り込んでしまった。昼間でさえ薄暗い路地裏の静寂に、遠くの大通りの車の走る音が酷く現代的だ。
 少女の細い指が空の一点を指す。そこには、都会の夜空にぽつんと輝く一つの星があった。
「今、あの星が終わったわ」
 感情の籠っていない声で、少女はぽつりと呟いてから、続ける。
「たった今、あなたは星の終わりを見た。といっても、あの星の終わりがここに伝わるまで、あなたがそれを理解できるようになるまで何万、何億年とかかってしまうのだけれど。だからね、夜空に散らばる星々を見上げるたびに、出来れば思い出して頂戴、私との思い出を」
 そうして少女は寂しげに笑った。