汚れた血を厭う処女

 父と母は忌々しいヴァンパイアとやらに殺された。まだ幼い子供だったオレと兄貴を庇って死んだ。大人の血は美味しくないからと長く鋭い化け物の爪で引き裂かれて殺された。ふるえる兄の腕に抱かれながら見たその凄惨な光景をオレは今でも鮮明に思い出すことができる。成長した今でさえ、その光景を夢に見て叫び声とともに起きるほどだというのに。幸いにしてオレたちは血を吸い尽くされる前にヴァンパイアハンターに助けられて生き延びた。処女であるオレは当然として、兄貴も成人男性にもかかわらず稀な極上の血を持っているらしく、その後も度々オレたちはヴァンパイアに狙われた。これじゃあ平穏に生きることもままならないと、オレは義務教育をなんとか終えた後すぐに、ハンターとして生きる道を選んだ。正直、修羅の道だ。もうこれでオレに平穏な人生は永遠に訪れないことを覚悟した上で、それでもオレはこの道を選んだ。と、いうのもオレのバカ兄貴はアホらしいことに自分はヴァンパイアに血を吸われて死ぬべきだと考えているらしいのだ。両親の死がオレに深い禍根を遺したように、あの出来事は兄貴の心を歪めてしまったようだ。
 死にたがりを庇うこともないと、兄貴をとっとと見捨てることができたのならオレの人生も、もう少し平穏だったかも知れなかったのだけれど、生憎とオレはあのバカ兄貴をどうしたって見捨てることができなかった。もう、たった一人の肉親なんだ。あの日、ガタガタと震える体をなんとか動かしてオレを必死に抱きしめてくれた優しい兄なんだ。できれば、幸せになってほしいと思う。オレが、オレがいつまででも守ってやるからどうか幸せになってほしいと思う。その話をすると、兄は薄暗く微笑むからオレは絶対それを伝えることはしないのだけれど。あのアホは自分が死ねばオレがハンターをやめて平穏な人生を選んでくれると信じているのだ。オレも兄貴に、馬鹿馬鹿しい他殺願望をとっとと捨てて、可愛い嫁さん貰って平穏に暮らしてほしいと願っている。オレが、いつまででも守ってやるから。オレたちは互いに互いの望まない形で互いを思いやろうとしてる。それに気づきながらもオレたちはそのまま自分のエゴを相手に押しつけ続けている。実に馬鹿馬鹿しいとは思うのだけれど、それでも、そうせずにはいられないのが家族の情というものなのだとオレは思う。そんなオレたち兄妹を知る者は殆どが揃って同情の視線を向けてくるけれど、オレはオレたちのそんな状況をあまり不幸だとは思っていない。
 愛する者が生きていてくれさえすれば、人生そんなに捨てたものじゃない。
 そんな話を、相棒である雪にしたのはもうそこそこ昔の話だ。ハンターとして生きる道を選んだオレに教会が相棒として宛てがったのが、忌々しいヴァンパイアの血を八分の一ほど受け継ぐオレと歳の変わらない少女だった。オレは、正直に言って使えないハンターだった。ただ、オレの血はヴァンパイアにとって芳しい香りを放つらしいため、同じく使えないヴァンパイアの雪と一緒に囮として使われた。パトロールと称されている、実際は囮として夜の街を二人で歩いている時、雪はオレに色々話しかけて来た。
「僕は、純血のヴァンパイアの血を引いてるから教会に保護してもらう代わりに協力しなきゃ駄目だけど君はそんな事無いでしょ? なんでハンターなんてやってるの」
 その質問をされたのは、割と始めの頃のはずだ。そのときにオレはこの生い立ちを話した。その時に雪は複雑そうな顔をして、やっぱり同情の視線を向けて来た。ヴァンパイアの血を引いてても、そういう同情心は存在できるのだな、と純粋に驚いた事を覚えている。
「君さ、僕の事嫌いでしょ」
「あぁ、嫌いだ。ヴァンパイアの血を引いた化け物と組まされるなんて本当に虫唾が走る思いがする。とっとと強くなって、一人で行動できるようになってお前とおさらばしたいね」
「ヴァンパイアの何がそんなに嫌なのさ。彼らは生きる為に血を啜るだけじゃないか。蚊と一緒だって」
「ちなみにオレは蚊も嫌いだし、蛭も嫌いだ」
「なるほど」
 何がなるほど、だったのかオレは知らないが、雪はどうやら納得したようだった。
「僕ねえ、実はそんなにヴァンパイアを憎んでないんだよね」
「お前自身も人間じゃないから当然じゃねえの?」
「そんな事は無いよ? 君はヴァンパイアが嫌いだから僕らに目もくれないだろうけど、教会じゃあヴァンパイアの血を引いてしまった事で迫害されて、自身に流れる血を、その根源を憎んでるやつらばかりだよ」
「……へえ。で?」
「で? って言われてもなあ。ま、教会に居る半端者のヴァンパイアのほとんどは君と似たようなものだからもっと肩の力抜いたら? って感じかなあ。一々殺意抱いてたら疲れちゃうよ?」
「でも、お前は違うんだろう」
 立ち止まって、改めてオレは雪を睨みつけた。雪が何を言いたいのか全く分からない。オレがヴァンパイアの血を引いた全ての存在を憎く思っていたって別に良いじゃないか。ヴァンパイア云々を抜いてもオレはこいつが妙に苦手だった。
「違うね」
「迫害とかされなかったのか」
「されたよ。されたからここに居る。けれど僕は、僕が会った事も無いヴァンパイアの血を継いだご先祖様とやらよりも、僕を迫害した本人が憎い。人が、ヴァンパイアが、じゃなくて僕を迫害したやつらが憎い」
「ま、道理っちゃあ道理だな」
「だから、無意味にそうやって僕を迫害する君も憎い」
「……なるほど」
 やっぱり、何がなるほどなのかは分からなかったがオレも何となく納得できた。多分、オレとこいつはソリが合わない。
「けれど、君の愛するものが生きていてさえすれば人生そんなに捨てたもんじゃないってやつ? その考え方は好きだよ」
「そりゃどうも」
「僕にはその愛する人はいないけど」
 そう言って、雪は鼻歌まじりにまた歩き出した。オレも黙って雪の数歩後を歩いたが、たぶんオレの目は、オレの生い立ちを聞いたやつらと同じ色をしていたと思う。同じ、同情の目だ。誰も愛せず愛されず、誰かを憎み続けるだけの人生を、こいつは歩んでいるのだろうか。ヴァンパイアの血を引くことはそう言う事なのだろうか。だとしても、オレはどうしたって、その血を赦す事はできない。どうしたって、その嫌悪は消えない。
「気にしなくて良いよ。君が思ってる通り僕は人間じゃない。化け物だ」
 オレの心を読んだかのように雪は歩きながらオレに聞こえるように言った。
「僕は、ヴァンパイアの血をちょっとしか継いでないけれど人の血を飲む事に抵抗ないもん。むしろ、人の血を飲むのは好きだよ。美味しいし」
 それから、くるりとオレの方を向いて微笑んだ。
「君は、良い匂いがするから憎みきれなくて嫌になっちゃうなあ」
「化け物め」
 今度こそ、明確な嫌悪感をもってオレは雪を化け物と呼んだ。にもかかわらず、雪は楽しげに笑うから、やっぱり訳が分からない。
「そうだ。今日から僕は君を愛そう。うん、そうしよう」
 暗い夜道に、街灯のほのかな明かりが雪を照らす。本気で気持ちが悪かった。不愉快だ。やめてほしい。表情を隠す事もしなかったから、言葉にするより雄弁にオレの嫌悪感は雪に伝わっているはずなのに、雪は笑顔を崩す事をしない。でも、これは何となく分かる。なんて事は無い。これは嫌がらせだ。実際はどうであれ、化け物に愛してると言われて嫌悪がわかないはずが無い。
「だって、愛するものが生きていてさえすれば人生そんなに捨てたもんじゃないんだもんね?」
「はっ、化け物が人間の愛を語るんじゃねえよ」
 やっぱりオレは忌々しいヴァンパイアという生き物と分かり合える気がしない。