命を戴く話

 目の前にある、大量のカレーを前に昔馴染みの守は盛大に溜め息をついた。
「料理作んのはいいが、量を考えろよ馬鹿」
「前回より減らしてるつもりなんだけどなあ」
 その言葉は嘘じゃない。具材も確かに減らしながら作ってはいるのだけれど、どうも自分は具を多目にいれる癖があるらしい。
「ほら、食ってやるからとっととよそえ」
 親しい人の前でしか出ない守の素の口調に促されるままカレーをよそう。いただきますの声のあとは無言が続く。いつものことだ。
「正樹、おめえいい加減主食と嗜好品を割りきれ。おめえは、俺と違って嗜好品だけじゃ生きていけないべ?」
 ぽつりと溢される言葉もいつものこと。料理は好きだ。人の食べ物を食べるのも好きだ。だけど、半分人である守と違って俺にとってそれらはただの嗜好品でしかない。栄養にもならない、無駄な行動でしかない。
「割りきってるよ。料理をして人と同じものを食べて生きていける希望なんてとっくに棄てた。だから、死ぬまでのあいだは好きなもの食べてたいじゃん」
「……おめえが死んだら後味悪すぎるだろ」
 おもいっきり顔をしかめる守に少し申し訳ない気持ちになる。それでも、俺は人の血を吸って生きていたくない。ただ、それだけなのに。
「早く諦めろよ守」
「その言葉そのまま返す」
 守は俺がなんとか人の血を吸わずにすむ方法を必死に探してた事を知ってる。動物の血を吸ってみたり、釣った魚にそのままかじりついてみたり。必死でなるべく人に近い食事をしようとする俺を守は近くで嘲笑混じりにみていた。ほかのヴァンパイアたちは俺を気味悪がった。そんなことをしても、無駄だと両親には諭された。実際、無駄だった。そして俺は死を決意した。
「なぁ、正樹。このカレーだって動物の命を煮込んでる……俺らの吸血行為となんら変わらない……いや、殺さない分俺らの方が残酷ではなか。なぁ正樹、何がそんなに嫌なんだ」
「理屈じゃ、ないんだ」
 理屈じゃない。ただ、俺はどうやったってヴァンパイアとして生きられない。それだけ。
「偽善? 笑える」
「もとから俺は笑い者でしかないだろ」
 俺の言葉に嘲笑を浮かべた守に俺はへらりと笑った。
 初めて守に会ったのは、古びた洋館の一室だった。そこは代々俺の血族が使えている純血のヴァンパイアが住んでいる館で、よく知らないが俺の何代か前の先祖がどうやらもともと人間だったらしく、それをこの館の主がいたく気に入り自分の眷属としたのが俺のヴァンパイアとしての血筋の始まりらしい。眷属のヴァンパイアは、純血のヴァンパイアよりも寿命ははるかに短いし、力も弱い。だから、その子孫もずっと主君のヴァンパイアに仕え続けるのだ。
 守は、そんな誇り高き純血のヴァンパイアの穢れとして存在していた。洋館の離れにひっそりと母親と共に暮らしていた。ハーフ特有の危うさというか、どこにも存在していないようなそんな雰囲気を幼い守はすでにまとっていたのを今でも覚えている。
 純血のヴァンパイアが気まぐれで作った人との子供。
 当然俺の一族は守に仕える気はなかったし、俺の主君はとても気まぐれだったからきっと世継ぎとして純血のヴァンパイアをいつかちゃんと生んでくれるだろうと踏んでいた。実際、俺もそう思う。
 だから俺の両親は良く俺にこう言い聞かせたものだ。
「お前もちゃんと人の血を飲み、立派なヴァンパイアとなり、我が君に仕え我が君の正当な世継ぎに仕えるのだ」
 けれど、俺はそのころにはもう人の血を飲み生き延びる自分の運命を呪っていたし、長生きするつもりなど全くなかったので両親には申し訳ないと思いつつうなずくふりだけをしていた。
 両親が君主と難しい話をしている間、俺は良く守のところへ遊びに行っていた。最初はハーフの守だったら人の血を飲むのが嫌だという気持ちを共感してくれるに違いないと思って話しかけたのだが、予想に反して守は人の血を飲むことに関して割り切っていた。よく考えなくとも、ヴァンパイアとはそういう生き物なのだからそれが当然だったのだが。
 そうだ。会ったばかりのころは守は俺に対して猫もかぶっていた。いい子でかわいそうなヴァンパイアと人のハーフを完璧に演じていた。それが崩れたのは、俺が家を飛び出し、最初に餓死寸前にまで追い込まれた時だったか。しばらく会いに来ない俺を訝しんで俺の両親に俺の居場所を聞いたらしい。その時吐かれた罵詈雑言に俺がどれだけ驚かされたことか。そのころになると、俺の両親も俺に対して諦めたらしく弟の拓海と、そのあとに双子の空と陸を生んで彼らに自分たちの後を任せることにしてたので何となく、守の孤独がわかった気がした。
 なんて言うと、守はひどく気分を害するんだろうけど。
 ともかく、それ以来俺が餓死寸前になるたびに守が俺に無理やり食事をとらせるというのが慣例になった。その慣例にきっと意味はない。意味がないからこそ続けられる慣例だということを俺は知っている。
「守、美味しい?」
「ん、あぁおめぇの飯はいつだって無意味に美味い」
 そう言って、守は俺の作ったご飯をいつだって美味しそうに食べてくれる。俺と違って、意味のある行為だ。守は、血を吸わなくてもなんとか生きていけるのだから。栄養のとれる食事というのは、一体どんな味がするのだろう。俺の感じている味覚と一緒なのだろうか。いや、そんなはずは無いと俺は信じている。人間の血は俺にとって栄養源だから、あんなにも美味なんだ。俺がもし人間で、いいや人間でなくともせめてハーフであったならば。もっと美味しくこの食事を摂れたのだろうか。
「正樹、無意味な事考えるんだったら作らねばいい」
 守が呆れたようにこちらを見てくる。守の言う事は最もなのだが、それをせずにはいられない。何度も言うが、理由は無い。理屈じゃない。
「あの……新戸銀っつたか。アイツが血ぃわけてくれるっつーんだったら受け取りゃ良いでねえか」
 新戸銀さんは、あの日俺を拾って以来、あの手この手で俺に血を飲ませようとしてくる。理由は単純で、単に六さんと俺への嫌がらせらしい。あの人もヴァンパイアに両親を殺されていて、心の底からヴァンパイアを憎んでいるくせに、自分はヴァンパイアに血を吸われ尽くされて死ぬべきだと信じ込んでいるというのだから、俺以上に訳の分からない人だと思う。彼曰く、誰よりも人の血を吸う事を憎んでいるヴァンパイアに血を吸われ尽くされて死んだら、最高の復讐になる気がする。とのこと。やっぱり訳が分からない。
 そして、そうやって銀さんが俺に銀さんを殺させようとするたびに、彼の”穢れた血を纏った処女”の異名を持つ妹が俺を殺しにくる。俺は喜んで殺されようとするのだけど、銀さんが俺を庇って兄妹喧嘩が始まる。それから、もう一人のハンターの雪ちゃんが俺を逃がすのが日常になりつつある。彼女曰く、人の血を忌諱する俺はヴァンパイアの血がもう大分薄い雪ちゃんよりもよっぽど人間に近く思えて殺すのが嫌だという。そして、俺はその言葉に反論できない。それも、きっと理屈じゃない。
「嫌だ。それに、一応俺の家族はその銀さんがお気に入りな六さんの眷属なんだよ?」
「あ? アイツがそんなん気にするわけねえだろ。それに、アイツのお気に入りは銀じゃなくて、その妹のほうだ」
「うん、知ってる」
 そんな日常の中で、俺は六さんの本当のお気に入りが汚れた血を纏った処女の方である事を知った。元々、銀さんの家系はヴァンパイアに狙われやすい家系だったらしい。銀さんの家系はしばしば、美味しい血を持つ子供が生まれるらしい。銀さんと、その妹である彼女、朋ちゃんも他の人間より遥かに美味しい血を持って生まれた。そのため、彼女たちの両親は殺され、彼女たち自身もヴァンパイアに狙われる人生を過ごす事になった。特に、処女である朋ちゃんの血は格別だろうと、六さんは語った。正直、銀さんの事はどうでも良いらしい。けれど、朋ちゃん自身を狙うよりも銀さんを付けねらった方が遥かに朋ちゃんへの嫌がらせになるから、あえて銀さんを付けねらっているというのを本人の口から聞いた事がある。なんというか、実に六さんらしいと思う。
 六さんは、なんというか、本当にどうしようもない人だ。実の息子である守にも、虐待行為を働いている。俺の両親は何故かそんな六さんを崇高な存在として一生懸命に仕えているが、六さんが気に入っていたのはあくまで俺の祖先だ。俺の両親じゃない。結果として、六さんは何故か、一生懸命に仕える俺の両親や弟たちではなく、ヴァンパイアとしての生を放棄している俺の方を気に入っているようだった。
「満腹。ごちそうさま」
 守が、俺の作ったカレーを全て食べ終えた。俺も、もう食べ終える。意味の無い食事であるにもかかわらず、俺はきっちり三食、人間の食事を摂るのが日課だ。
 まったく、俺のこの食事も、銀さんの他殺願望も、朋ちゃんの銀さんを守りたいと言う気持ちも、両親の献身も、なにもかも報われない世の中だと思う。
「駄目だ、お腹空いた……」
 かなり量の多いカレーを全て平らげたところで俺の空腹は満たされない。
「だから観念して血を吸って来いって」
 まったく、本当に報われない世の中だ。