夢見の研究所と少年と旅人

 あれは確か、北部のとある国を訊ねたときだっただろうか。その国では夢見の研究が盛んで、幾つかの研究兼教育施設も大きな街にはチラホラ伺う事が出来た。しかし、どこの国でもそうだが、夢見なんて生き物に成り損ねた感情を持たない幸運のお守り程度の認識であり、研究費も雀の涙ほどにしか出ず、さらに夢見の資料の少なさからどこも閉鎖寸前にまで追い込まれていた。オレは、幼少期の思い出から機会があれば夢見について調査紛いの事をしていた事もあってその国の夢見の研究はあと数年も持たずに崩壊するであろうと見当をつけていた。数ヶ月程度であれば手伝っても良いかな、と思ってはいたのだが、如何せん、その国の研究者が気に喰わない。気に喰わないやつを手伝う気にはなれず、研究者どもの見当違いの演説をアーハイハイソレハスゴイデスネーと軽く流してもうなんだかんだと三ヶ月ほど経っただろうか。そこそこ大きな街を点々としても、まったくこの国の人間は気に喰わない。これならばまだ人間をすら喰いものにしていた南部のとある無法地帯の方がまし……いやそれは言いすぎだ。いくらなんでも言い過ぎた。その街で遭遇してしまった気に喰わない黒髪眼鏡の男を思い出す。まったく、あの男に比べればこの国の研究者どもはまだましだとは言え、いい加減諦めて次の国へ移るべきかと考えながら、オレは既に注文を終え、後は食事が届くのを待つばかりとなったカフェで地図を広げた。
 小鳥達の鳴く声に紛れて時折鞭の唸る音や悲鳴なども聞こえてくる。暢気な昼下がりには少々不釣り合いなその雑音もこの国ではただの日常だ。通りにもチラホラ手足に枷が付き、首の背中側の付け根に所有者の名前が生々しく刻まれた夢見の奴隷が見受けられる。全く胸くそ悪い事この上ない。何故、この国で夢見の研究が盛んなのか。答えはシンプルこの上なく、この国が夢見の奴隷制を公認しているからに他ならない。一般に、夢見達は感情が乏しいと言われている。オレにしてみれば、そんなものは夢見達への偏見でしかないのだが、客観的に見ればそんな評価を受けてしまうのも致し方がなくもある。夢見達は、その生涯を運命の相手に捧げる事を至上の喜びとしている。そのせいだろうか、運命の相手意外の事象に関して夢見達は必要最低限の感情の動きしか見せない。誰かが死ねば悲しく、子供が生まれれば嬉しい。悲しい、嬉しい、だけどそれだけだ。それ以上の感情はない。誰かが死ねば悲しい顔をする、子供が生まれれば笑顔を見せる。しかし、葬儀が終われば、笑顔でおめでとうありがとうとやり取りをすれば、何事もなかったかのようにそれぞれの日常へ戻っていく。それは機械的とすら思えるほど味気ないものなのだ。そのくせ、運命の相手に関する事には、こっちが受け入れ難いくらいの感情の動きを見せる。運命の相手がただ息をしているってだけで夢見はそのまま溶けちまうんじゃねえのかってくらいの笑顔を見せるのだから、理解しろという方が難しいのかもしれない。事実、ふらふらと荷物を運ばされている夢見もオレたち人間から見れば悲惨な状況であるにもかかわらず、本人からは悲壮感と言うものが伝わってこない。聞いた話でしかないが、最初、夢見が一部の貴族たちの奴隷にされ始めた頃は、それこそ夢見解放運動みたいなものも盛んだったらしい。だけど、夢見達自身がそんな感じに感情の動きを見せず、仲間が奴隷にされようが、自分が奴隷にされようがどうでも良いとでも言うようなスタンスだった為、今では夢見解放運動を起こすようなやつもいない。彼らの興味の全ては、自分が運命の相手と出会えるかどうか全てに注がれていて、運命の相手と出会えないのだったら奴隷になろうが、故郷で子を生し平穏に暮らそうが大差ないのだという。驚くべき事に、これは人間側の主張ではなく、オレが昔出会った夢見が実際に言っていた事だ。もちろん、故郷で子を生して平穏に暮らす方が良いに決まってるとは言っていたが、奴隷になる事と大差ないと言ってしまえるあたり、人間側がだんだん夢見を奴隷にする事に抵抗感を感じなくなっていったのにも頷けてしまう。だからといって、オレ自身が夢見を奴隷にする事に抵抗感を感じないかと言えば、それとこれとは話しが別なわけで。いかに効率よく夢見の集落を見つけ夢見達を捕獲するかとか、夢見達を良質の奴隷にする育成方法などという研究成果を得意げに見せてきた研究者と名付けるにはあまりにも醜悪な存在の、人の顔と形容するにも抵抗があるあの表情を思い出して思わず舌打ちをしたところにコーヒーが運ばれてきてしまい、オレは深々とため息をついた。
 早速運ばれてきたコーヒーを啜りながら、怯えさせてしまったウエイトレスにはチップを多めに払ってあげようなどと考えていると、隣の席からも深々としたため息が聞こえてきた。こんなにいい天気の暢気な昼下がりに、オレと同じく憂鬱な気分になっている変わり者は一体どこのどいつかとため息の聞こえた方へ目を向ければ、そこにはぶかぶかの白衣を羽織ったちびがいた。手元には羊皮紙の束があり、それを眺めながら何度となくため息をついていることから、恐らくどこかの研究所の研究生なのであろう事が伺える。
「こんなの、こんなの夢見の知り合いでもいなきゃ答えられないよおぉ……」
 ふにゃふにゃとした声のトーンも、その内容も頼りない研究生の研究内容はどうやら夢見についてのようだった。この国で夢見を研究してるんだから一体今度はどんな性格悪そうな顔をした人間なのかと顔が覗き込めるような位置にそっと移動してみて、驚いた。ボサボサの茶髪に、三束ほど黒い毛がぴょんぴょんぴょんと跳ねている間抜けな声の主は、その表情も間抜けだった。今にも泣き出しそうな幼い顔には意地の悪さや卑屈さというものは感じ取れず、そこには、ただただ目の前の書類に困っている少年の顔だけが存在した。重ねて言うが、この国の夢見の研究は胸くそ悪い。オレの経験則でしかないが、胸くそ悪い研究をしている人間の顔は、どこかしら意地の悪さや卑屈さというものが感じ取れてしまうものだった。珍しい奴もいるもんだと思って、そいつの所属している研究所も胸くそ悪い研究をしているようだったらどっか別の研究をするよう忠告してやろうとオレはコーヒーと時間差で今運ばれてきた食事を持ってそいつの席へと移動した。
「ちょっと相席しても良いか?」
「へっ、えーっと……ごめんなさい。コーヒーとかこぼされちゃうと困るんです」
「あぁ、それならテーブル隣にくっつけてそこで食うなら大丈夫か? 夢見の研究してるんだろ? オレ、夢見の研究に興味あるんだよ」
「えっ、あ、うぅ……そう言う事なら……どうぞ」
 困ったようにこっちを見ながらも、結局オレが近くに行く事を許してくれたこの幼い研究員はピピという名前らしい。オレがピピを眺めながら飯を食っているのが居心地が悪いのか、時折チラチラとこっちを見てきた。それを気にせずもぐもぐと食事を続けていると、ピピはさらに居心地悪そうにソワソワと目線を書類とオレと行き来する。オレが、最後の一口を咀嚼し終え、コーヒーを飲み干したのを見計らって、とうとう目の前の書類の束とオレの視線に耐えきれなくなったらしくピピが話しかけてきた。
「トモ……さんは、どうして旅に?」
 控えめに、ごにょごにょと話しかける様子から、こいつが世間知らずで大事に育てられている事が感じとれる。だからこそ、オレは一層こいつがこの国で夢見の研究をしている事が不思議だったりするのだが。
「あぁ、気軽にトモって呼んでくれていいよ。敬称つけてもらえるほど偉い立場の人間じゃないんでね」
「えぇー……まあ、でもお言葉に甘えて。トモはどうして旅をしてるの?」
「別にこれと言った理由はねえよ。ただ単に、世界って奴に興味あっただけさ。そう言うお前は?」
「えっ、何が?」
「お前が、夢見を研究してる理由」
 オレが逆にそう訊ねると、ピピはさらに困った顔になってうぅん、と唸り始めた。そんなに深い理由があるとは思わず、軽率な事を訊ねてしまったかと謝ろうとすれば、その気配を察知したのかピピはあわてて手を胸の前でパタパタと振った。
「あっ、あのね、そんな深い理由じゃなくってね、ていうか逆にそんなに深い理由じゃないからどう答えたら良いのか分かんなくってね……えぇっと、僕いまね、夢見の研究をしてる人のところでお世話になっててね、何かお手伝いできないかなーって思って。玲先生も、僕の教育も兼ねて賛成してくれてるから、えぇっと、それで……」
 あたふたしながらなんとか言葉にしようとする様は、どこか間抜けで愛嬌があると言えば聞こえは良いが、正直、こいつは研究者に向いてなさすぎるだろうと思った。どうやら、玲先生とやらがこいつの面倒を見ているようで、教育も兼ねてこいつに夢見の研究を手伝わせているようだったが、人選ミスにもほどがあるんじゃないのか、と言うのが正直な感想だったりする。さて、それではその玲先生とやらは身寄りの無い子供を体良く小間使いにする外道か、あるいはボランティア精神に溢れた素晴らしい人徳者か。カマ掛けも兼ねてピピに課されたという課題について言及してみることにした。
「んで、その玲先生とやらが出した課題に今お前は悩まされてる、と」
「うん……こんなの夢見の知り合いでもいないと答えられないと思うんだけどなあ……」
 ピピのその言葉に書類をチラッと見てみるが、まあ確かに少し一般的に知られている事柄から離れた設問ではあるが、調べて出てこないほどではないだろう。実に絶妙な難易度でその課題は課されていた。しかし、気になったのはその設問の正確さだ。素人目でしかないが、夢見の生態というか、夢見と言う種族の特徴を掴むのにその課題の設問は実に適切に思える。コレは、当たりかもしれないと期待を抱きつつさらに探りを入れていく。
「じゃあ、夢見の奴隷でも一人買い取ってみれば?」
「は……?」
「解剖するわけでも、その後奴隷として手酷く扱うわけでもないんだろ? だったら、どこぞの非人道的なご主人様に買い取られるよりその夢見的には幸せなんじゃねえの?」
「なにを……言ってるの……?」
 当たりだ。ようやくまともな研究をしている研究所を見つける事が出来たようだ。愕然としたピピの様子を見て、オレは思わずにやりと笑った。それをピピはどうやらオレが夢見を見下した笑みだと勘違いしたらしく、顔を真っ赤にして先ほどのおどおどとした雰囲気からは想像し難い勢いでオレに突っかかってきた。
「そんな事できるわけないでしょ?! 君はっ……! 君がそんな人だとは思わなかった!! 僕らは夢見を解放する為に日々雀の涙の研究費で必死に頑張ってるって言うのに! 君みたいな、君のような人がいる所為で……っ!」
 最後の方は、感情が高ぶりすぎたのか、もうほとんど泣き叫ぶ勢いだったのが、ついに啜り泣きに変わった事から、こいつが本当に心の底から夢見を救おうとしている事が痛切に伝わってきて思わず面食らった。ちょっとやり過ぎたかな、そうか、相手はまだ子供だったなと大人になった自分を自覚する。彼が見ているのは、幼い子供の夢だ。夢見を研究し、夢見を人間社会に馴染ませて一緒に仲良く暮らそうという、子供の夢を、オレは踏みにじってしまったのだと思い知らされる。
「……悪かった。お前の反応を見てその玲先生とやらがどんな研究をしてるのか探ったんだ」
 だけど、言い訳に聞こえるかもしれないが、こいつが本当に夢見の研究を続けるつもりなら、その夢は捨てなければならないと思う。夢見と人間は相容れる事はない。オレが、幼い頃出会った夢見と交流する中で、唯一、あの夢見から学んだそれは、真実だと今も信じている。
「詫び代わりに、それ、手伝ってやるよ。オレさ、昔夢見の知り合いがいたんだ。故郷の農家に住み込みで働いてたの。奴隷とかじゃなく、普通にお手伝いさんとして。だからオレ、それくらいだったら知ってる」
 きょとんとした瞳がこちらを見つめてくる。涙に濡れた純粋な、蜂蜜色の綺麗な瞳だ。あぁ、子供の夢を捨てた方が良いと考えておきながら、その瞳を見てしまったらそのままでいてほしいと願ってしまう。玲先生とやらがこいつを世間知らずになろうと大事に育ててしまっている気持ちが何となくわかってしまう。母性とはこういう感情のことを言うのだろうかと考えあぐねながらピピの癖っ毛をくしゃくしゃと撫でた。
 残念ながらオレは字は何となく読めるのだけれども、それを書くとなると少々心許ないのでピピが設問の内容を読み、オレが口答し、ピピがそれを書き込んでいくという形を取った。時折、どうして? なんで? といういかにも子供じみた合いの手が入るがオレは特にそれに答える事はせず、それを突き止めるのが研究者だろうとだけ返しておいた。こいつは甘やかせば甘やかすほどつけあがるタイプだと痛感しながら。それでも、課題には一生懸命取り組んでいるし、何かを知りたい、誰かの役に立ちたいと言う気持ちはその姿勢から十分伝わってくる。素直な良い子だ。オレにもこんな時期があったのだろうか。あったのだろう。オレがあの夢見と出会った頃は、多分オレもまだこんな透き通った瞳をしていたはずだ。たぶん。そのうち、カリカリと羊皮紙に文字を書き込む音が止み、ピピが深く息を吐いた。
「本当に詳しかったんだね。疑ってごめんなさい」
「いいや、先にお前の希望を踏みにじったのはオレだ。詫び代わりって言っただろ」
「そっか、じゃあ、コレでおあいこだね」
 そうしてふふっと笑ったピピの顔は本当に幼い。多分、実年齢より相当幼く見えているはずだ。こいつの文字を書くスピードは相当早く、設問内容もなかなか難しい。課題を解く様は普段から勉強をしている人間のそれだった。
 ふと空を見上げると、陽が落ち始め街は綺麗な夕焼けの赤に染まっている。
「うわぁ、もうこんな時間かぁ……」
 ピピが感嘆まじりの声を上げた。石畳で整備された街が赤く照らされる様は本当に美しい。ここは良い街なんだな、と改めて思う。オレの経験論だが、夕焼けに照らされた時、それが美しく見える街は大抵良い街だ。治安が悪かったり、人々の生気にあふれていない町は不思議な事に夕日に照らされると不気味に思える。まるで、人々の昏い心が夜の闇を手招いているような、そんな不気味さがある。
「トモの髪と瞳は、夕日の色なんだね」
「馬鹿言え。オレの方がもっと赤い」
 オレの方がまだ少し背が高いから、オレを見上げてピピは微笑む。その微笑みにあの夢見を思い出す。彼は、朝焼けの中遊びに来たオレを見て、お前の髪は本当に赤いから夕焼けよりも朝焼けに照らされた方が綺麗だな、と彼の運命の相手にしか向けられるはずのない類いの微笑みをオレに向けて来た。その光景を思い出すたびにまだ、耳の奥であの声が木霊する。あの頃オレはまだ、彼を助けたいと思っていた。こんなに綺麗な笑みを向けてくれるのだから、きっと人間と夢見は手を取り合って生きていけるはずなのだと信じていた。
 もう少し、後数年もしたらこの少年はあっという間にオレの身長を追い抜かしていくのだろう。いつか、オレもこの少年の中の思い出の一つになれるのだろうか。少し長くこの街に滞在しよう。この少年が成長し、つらい現実を目の当たりにし心が折れそうになって、その、純粋な子供の夢を捨てそうになったときにそれを思い留めさせる思い出になってやりたいと思うのは少し、おこがましいだろうか。誰かの思い出でありたいと思うのは旅人人情だ。
「ねえ、トモも夕ご飯一緒に食べていってよ! 玲先生にもきちんと紹介したいし」
「ん、助かるよ」
 書類を持つのを手伝いながら、そうしてオレは駆けるピピの後を着いて行った。