傭兵と旅人

  二十歳を越えた頃、オレは国の外を旅する事を決心した。今までは国内を旅行しては故郷に帰り、旅行しては故郷へ帰りを繰り返していたのだが、とうとう我慢できなくなってオレは両親が止めるのも聞かずにまずは南部へと旅立った。中部とは全く違った気候や文化はとても興味深く、気がつけば南部へ足を踏み入れてからとっくに二年が経過していた。南部の最南に浮かぶ島々をぐるりと見て回り、さあここから折り返すかという頃にオレは若い傭兵志望にであった。
 奴と出会ったのは南部の最も南の島国の中でも特に小さな島にある村に滞在していたときだった。その国は、南部でも特に独特な文化を持っていたのだが、それがとても赴き深く、畳の匂いの中で飲んだ緑茶はそりゃあ美味しかった。その村は、他の島との交流もほとんど無いひっそりとした小さな農村だったが、海産物と山で穫れる山菜や動物の肉とで農作物が不作の年でも食べる物に困らない、食料に富んだ村だった。食べ物の有無は、村の気風に強く影響する。食べ物がある村は大概おおらかだ。人々は気さくで、人が良い。その村も、例に漏れず余所者であるオレにとても良くしてくれた。他の島との交流もほとんど無い所為で、村の外の人間を初めて見たと言う村人も少なくなかったにもかかわらず、彼らはオレを大喜びで迎えてくれた。こう言うと意外に思われるかもしれないが、他所との交流が無い村は余所者に対して心を開かない村が多い。それは、色々な理由があるのだろうが、少なくとも他所との交流がほとんど無い村で暖かくオレを迎えてくれたのはオレが訊ねた中ではこの村だけだ。奴は、そんな村の出身の力持ちの青年だった。
「あなたが、噂の旅人さんですね」
 海辺をぶらりと散歩している時に、奴はそう話しかけてきた。短く剃られた黒い髪に、前向きで誠実な黒い瞳。体は農業で鍛えられているのか、がっしりと筋肉がついており、小柄な人が多い南部には珍しく、背もそこそこ高い男だ。少しつり目気味のパッチリとした瞳は、オレを真っ直ぐに見つめている。愚直な瞳だ。疑う事を知らない、お人好しの瞳を奴は持っていた。
「性を斉藤、名を正樹と言います。はじめまして旅人さん」
 その国は、珍しい事に一般庶民もファミリーネームを持っていた。オレの故郷では一定以上の地位を持つ者にしかファミリーネームを持つ事は許されていない。とは言え、オレはこの正樹と名乗る青年と出会った頃には、もう大分長くこの国に滞在していたので一般庶民である正樹が性を名乗った事にさほど驚く事も無かった。それより、オレが驚いたのは奴の次の言葉だった。
「初対面で図々しいことは百も承知していますが、旅人さんにお願いがあるんです……俺を、俺を傭兵として雇っては戴けませんか。お代は当然戴きません。俺は傭兵としての経験は無い素人っす。でも、野生動物と素手でやり合うくらいの実力は持ってます。足手まといにはなりません。どうか、俺を貴女の旅に御伴させて下さい」
 愚直な瞳をこちらに真っ直ぐに向けて、南部訛の強い共通語で正樹はオレにそう言った。緊張と不安を隠す事もせず、いや、隠す術も持たない、誠実で愚直で純粋な青年がそこに居た。
「いや、野生動物とやり合えるんなら、傭兵……っつーか用心棒としては申し分ないんだけどよ。正樹っつったか? お前なんで旅になんか出たがるんだよ」
「理由が必要ですか?」
「まあ、雇う上では必要だよな」
「あっ、そうっすね。確かにそうだ。えっと、そうだなあ……俺、もっと他の場所を見てみたいんですよ」
「へえ」
 顔を興奮で若干赤くしながら、正樹はそう言った。気持ちは分かる。すげえ良く分かる。オレも似たようなもんだから。キラキラと期待に輝く表情は、実に若者らしくて良い。いやまあオレもそんなに歳とってないんだけど。けれど、田舎の純朴な青年のそれは、妙に輝かしくて、そんな青年を世間に出すのはもったいない気がした。暢気で気の良い村の中で、そのまま一生を終えるのも悪くないと思う。
「でも、それだったらわざわざオレの用心棒になることは無いだろ。オレが善人とは限らないんだしよ」
「そう言う事言う人が悪人じゃない事くらい、俺だって理解できますし、俺には金がない。金がないと旅に出るのは、やっぱり難しいと思うんっす」
「あぁ、金か。そうか……そりゃあ、大事だな」
「お願いします! 俺を、どうか旅に連れて行って下さい!」
 ばっと頭を下げたこの青年に、心動かされるものが無いかと言えば嘘になる。いや、率直に言ってしまえば、こいつの分の旅費の負担だけでこの先の用心棒が手に入るのは有り難い。金ならあるのだから。けれど、こいつはこの村に必要な人間なのではないか? この愚直な青年はこの村の外で良いように利用されはしないか? そんな想いがオレに首を縦に振る事を躊躇わせた。
「お前の両親は、なんて言ってるんだ」
 とりあえず、こいつの親の考えを聞いてみようと訊ねてみれば、頭を下げたままの正樹の肩がびくりとする。あぁ、なるほど。言わなくても分かる。旅に出たいと思ってる事を言ってない奴の反応だ。
「話してないのか」
「あ、の……」
「話してないんだな」
 呆れた気持ちで、語尾を強めに問いてみれば、やはり諦めたかのような力の無い、はい、という返事が聞こえた。オレも似たようなもんだが、長女で跡取りの必要の無いオレと、力がある男のこいつとじゃあ話が違う、と、思いたい。思いたいし、オレはちゃんと両親に話した上で反対されたから出て行ったと言い訳がましい気持ちになりながら、とりあえず正樹には正樹の両親にきちんとこの事を話すように言った。おそらく、反対されるだろう。下手すりゃオレはこの村を追い出されるだろう。まあでも、そろそろ次の国へ向かおうかと思っていたのだから丁度良いのかもしれない。正樹の両親からの苦情を背に、旅立とう。少し後味の悪い、嫌な旅立ちだろうし、次にこの村に来る旅人への辺りが少々キツくなるかもしれないが、まあ、人生そんな事もあるさ。
 そして、その夜。オレの予想通りに正樹の両親はオレの元へ訪れた。
「旅人さん、お願いがあるのですが」
「……なんでしょう。とは言え、多少は検討がついていますが」
「なら、話が早い。どうか明後日の定期便で息子には黙ってこの村をそっと出て行ってほしいのです。急な話ですし、これでどうにか……」
 そう言ってこの夫婦はオレに少しの金を持たせようとした。けれど、オレは当然それを断った。受け取れるはずが無い。いくら食料に富んだ村だとはいえ、そこまで裕福な暮らしが出来るはずも無い。自給自足の慎ましい生活を送っているはずだ。他人にそんなに簡単に金を渡してはいけない。
「受け取れません」
「しかし……!」
「安心して下さい。ちょうどそろそろ旅立とうと思っていたところなのです。それに、オレは金には困ってない。あなた方の暮らしに波風を立てたいわけじゃない。この村には本当に感謝しているんです。大丈夫、明後日には息子さんに決してバレないよう旅に出ましょう。支度はもう整えてあります。明日は宿を出ずに一日を過ごし、明後日の明朝そっと村を出ることにします」
 そう伝えるなり、ほっとした顔を隠そうともせず、いや、多分この人たちも隠せないんだろうけれど、そうしてありがとうございます、ありがとうございますと頭を下げてくるのだからやってられない。オレが世紀の大悪党にさえ思えてくる。本当に、お人好しな村だ。息子をたぶらかしやがって、と一発二発くらい殴られる覚悟さえしてたものだが。
 夜が明け、約束通りオレは最後の一日を宿の中でごろごろしながら過ごす事にした。今日は外に出ないんだねえと、宿の女将が話しかけて来たがオレは生返事を返すだけに留めた。そうすると、女将さんはちょっと待ってておくれ、と茶と茶菓子を用意してくれる。小豆を砂糖で煮詰めた餡を、甘い蒸かした芋で包んだ菓子だ。この村の特産品の一つに砂糖があるおかげで、多分オレは今後の人生でこんなに甘いものを食べる機会も無いだろうというくらいにはこの滞在で甘いものを食った。特に、女将さんの作る小豆の餡は甘さがくどくなく、絶品だ。オレは一言礼を言うとそれを一つほおばった。
「あぁそうだ、女将さん。オレ、明日村を出て行く事にするよ」
 ずずっと茶を啜りながら、そう言えば女将さんにそれくらいは伝えておかなければマズいなと気づいた。女将さんはオレの言葉に驚き、とても残念がってくれたが特に引き止めるような事はしなかった。ただ最後に一言、それにしても急な話ねえと付け加えたが、何かを詮索する事もしなかった。オレは妙に残念なような、有り難いような、複雑な気持ちでそんな女将さんの反応を受け止める。平和な昼下がりだ。長閑でお人好しな村への滞在の最後の日はそうしてのんびりと過ぎていった。
 そして、村を出るその日。
 まだ薄暗い海岸をオレは最低限の荷物を持って歩いていた。月に一度、隣にある少し大きめの島の大きな街に買い物に出る船に乗せてもらう為だ。ここに来たときも、同じ定期便に乗せてもらったのだった。ぼんやりとした提灯の明かりと数人の人影が見えてくる。水平線の彼方はもうほんのりと黄色に明るく、夜明け直前の独特な美しさを魅せる。定期便を出してくれる船乗りにはオレが今日乗る事をあらかじめ伝えておいてある。正樹とは、約束通り会っていない。黙って正樹を置いて旅に出るオレを、さすがにアイツは恨むだろうと思う。
「今日は、よろしくお願いします」
 人影に近づき、そうやって頭を下げた。そして、聞こえて来た聞き覚えのある声にオレは急いで頭を上げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「お願いしますじゃねえよ! 何でお前がここに居るんだよ正樹!」
「俺の返事を聞かずに旅立つなんて狡いですよ旅人さん」
「えぇい! 質問に答えろ!」
 思わず頭を抱えて叫ぶと、船乗りたちの笑い声が聞こえた。
「旅に出る事をよしとする親なんていねえだろ」
「旅に出るんなら、やっぱり家出も同然になっちまうよなあ」 「なあ、アンタもそうやって旅に出た口じゃあないのかい?」
 豪快に笑いながら船乗りたちはばしばしとオレと正樹の肩を叩く。正直、船乗りたちの言う通りだったので、オレは何も言い返せない。あぁ、正樹の両親に申し訳が立たないなあと思いながらため息をついた。 「なにため息なんてついてるんすか! 楽しい旅の始まりっすよ!」
「お前の両親に申し訳が立たないオレの心情も少しは理解してくれませんかね正樹くん」
「あっ、それなんすけど、確かに快い返事はもらえませんでしたけれど、オレが家を出る時、卓袱台にお金が置いてありました。それから、置き手紙も。たぶん、旅人さんに持たせようとしたお金です」
「は?」
「俺の両親は、何を言っても俺がこうやって旅人さんについていくって分かってたんすよ。だから、あなたに持たせようとしたお金は、あなたを追い出す為のものじゃなくて、俺の世話料なんですよ多分!」
 何を馬鹿な事をと言いたかったが、正樹が差し出して来た正樹の両親の置き手紙には一言、うちの馬鹿息子をどうぞよろしくお願いしますと書かれていたからそう言う事なのだろう。期待にキラキラと顔を輝かせるこの青年に、どうか人の狡さや醜さがなるべく降り掛からない事をせめて願う。こうなってしまっては、もう止められない事はオレも良く分かっている。
「楽しい事ばかりじゃないぞ」
「ウス!」
「人間ってのはこの村の奴らみたいに良いやつばかりじゃねえぞ」
「肝に命じておきます!」
「身ぐるみはがされて奴隷にされちまうかも」
「そうならないように自分が居ます!」
「そうか。オレの名前はトモだ」
 そう言って、手を差し伸べると奴はきょとんとした間抜け面を晒した後に、朝日よりも眩しい満面の笑みで握り返して来た。
「よろしくお願いしますトモさん!!」



(いってえよ馬鹿! 力かげんっつーもんを知らないのか阿呆!!)
(あああすみません!! あっ、トモさんって今日からオレの雇い主っすよね? ご主人? 女将?)
(あ? 普通にトモで良いよ。さんも要らねえ)
(えぇ、それだと何か締まらないっすよお……あっ、姉御でどうです?)
(やめろ)
(これからよろしくお願いします姉御!)
(オイてめえなに、よし、しっくり来た! って顔してんだよ。おい、トモで良いって、おいこらてめえ! 正樹!!)