山間部の街と旅人

 北部への旅を始めてすぐ、オレは山間部にある小さな町にたどり着いた。特に何があると言うわけでもない町だったが、酒造が盛んで酒が旨かったのを覚えている。あぁそうだ、中部に程近い上に山の中という立地も相まって、山賊や人身売買に手を染めた悪人どもの隠れ家も多くあった。しかし、南部の山脈と違い、そんなに険しい山ではなかったから、中部と北部を繋ぐ中間地点として旅人がよく訪れている町だ。犯罪者に旅人とくれば、次にやってくるのは傭兵だ。安全な旅のために傭兵を雇う旅人は少なくない。オレも町で何人もの傭兵に売り込まれたが、まだもう少し気ままな一人旅を楽しんでいたかった。正樹もいつか傭兵としてこの町にたどり着くのだろうかと、中部で別れたあの純朴な青年のことを思い出すことはあったけれど。
 半ば無理矢理正樹は傭兵として着いてきて、一年ほどを共に旅したわけだが、実のところオレは傭兵を必要としてるわけではなかった。若い、それもそこそこ珍しい赤い髪と瞳を持った女の一人旅というとかなり危ないように思えるだろうが、いやまあ実際危ないんだけど、オレはそこそこ自衛ができるもんで路銀の節約も兼ねて傭兵を雇うことはしないのが常だった。後にも先にも、傭兵としてオレの旅に同伴したのは正樹ただ一人だ。
 そういう風に旅をしていたからだろうか。奇妙な人の縁に巡りあうことは妙に多かった。
「だからっ、おれはっ、夢見じゃないって言ってるだろ!」
 山間部の町を目指し、黙々と歩いていたところに飛び込んできたのは複数の男たちが揉めている声だった。
「そんな真っ白なナリしてて、人間なわけねーだろ!」
「そりゃ、ただの人間を夢見だっつって奴隷にすることの方が多いけどよ、流石に夢見と人間の見分けはついてるっての」
「いい加減大人しくしやがれ! 人数的に逃げきれねえの分かってんだろ?」
「諦めたら奴隷にされちゃうじゃないか!」
 山賊風の柄の悪い男が四人に、銀髪に赤みがかった灰色の瞳をした背の高い男がお互い刃物を突きつけながら対峙している。夢見は例外も多いが、色素が極端に薄い者が多く、それが夢見の特徴だと言われている。銀髪の男は、肌も白く、ぱっと見確かに夢見らしいと言えばらしいのだが、なんとなくオレはその面長の顔に、丸っこい目をした銀髪の優男が夢見とは思えなかった。しかし、相手が人間だろうが夢見だろうがこのまま見過ごすのはちょっと後味が悪いと思い、なんとか銀髪の男を助けられはしないかと考えあぐねていたのが悪かったのか、オレは自分の風貌のことを忘れていたようだ。
「おい! そこの木の陰に誰かいるぞ!」
 森の中で赤い髪は目立つよな。そうだよな。バレてしまったなら先手を打つしかないと、予め探しておいた木のうろを利用して木に登り、使い捨て用の安いナイフをまず一本投げる。幸運にも山賊のうちの一人の足に刺さったようで悲鳴が上がった。木の枝を伝いながら、山賊たちのいる方へと向かう。銀髪の男もオレの行動に気付いたようで、身近にいた一人の利き手と足に切りかかったのが見えた。相手が飛び道具を持っていなかったのはまったく幸運としか言いようがない。不意打ちだったこともあって難なく銀髪の男が一人目を切り伏せると、残った二人のうち一人は剣をこちらに向けながらオレを警戒し、もう一人は銀髪の男へと向かっていった。危ないようならナイフ投げて援護してやろうかな、と思っていたのだが銀髪の男は思った以上に強く、特に苦労する事もなく向かってきた男も行動不能にした。オレを警戒していた最後の一人は、無事なのが自分一人だと気付くやいなや、走り出そうとしたからそのままそいつに向かって飛び降りてやった。アジトにでも戻られて仲間を呼ばれたら厄介だ。そのまま締め上げて気絶させようとしたそのとき、森に怒号が響いた。
「てめえらそこで何をしてやがる!」
 やってきたのは、三十を過ぎたあたりだと思われる、黒髪に黒い瞳のがたいの良い男を先頭に同じ服に身を包んだ五、六人の男たちだった。おそらく怒号を飛ばした先頭の男がリーダーなのだろう。ぱっと見た時の若い印象とは裏腹に、よく見ると顔に対して大きめな目の端や眉間には皺が刻まれており、北部に多い、彫りが深めの顔を老けさせていた。新手かと思ったが、おそらく山間部の町の自警団が何かだろうと当たりをつけ事情を説明しようとするよりも早く、オレの下に居る男が叫んだ。
「助けてくれよ旦那ぁ! この赤い女が俺たちの商品を横取りしようとしてきたんだぁ!」
「あぁ?! てめぇどの口が言いやがる!」
「だからおれは夢見じゃないって何度言えば分かるんだよ!」
 すかさず漏れ出たオレと銀髪の男の反論に、自警団だと思われる奴らは困惑する。
「夢見の奴隷は高く売れるから、きっとそれを狙ったんだ! 常識的に考えてあんなに白い男が人間なわけないだろ?」
 それに畳みかけるように、山賊の男が被害者面して続けるものだから、だんだんオレが悪いような空気になってくる。仮に、そこの銀髪の男が本当に夢見で法に則って奴隷にされたのだとしたら悪いのはオレだ。けれど、言い合ってる様子や銀髪の男の実力を鑑みれば彼が夢見とは思えなかった。
「おいそこの白いの。お前本当に夢見じゃねえのか?」
「説得力無いのは重々承知ですけどねえ、おれはれっきとした人間ですよ。無理矢理奴隷にされそうになってたところを、そこの女性に助けられたんです」
「嘘ついてんじゃねえぞ! 旦那ぁこいつが言ってることは嘘です! 奴隷にされると分かってて自分は夢見ですって言う奴はいないでしょ?!」
「それもそうだ」
「いやぁ、どうだろう……?」
 山賊の言い分に全員が納得しかけたなか、その言い分に首を傾げたのはオレだけだった。
「オレたちが自分を夢見だと言わないのと一緒で、あいつらも自分たちのことを人間だとは言わねえと思うんだけどなあ」
「はあ? お前頭おかしいんじゃねえの? 普通自分の身を守るためだったらそのくらいの嘘は誰だって吐くだろ?!」
「そりゃ、人間だったらな」
 自警団と思わしき団体の前でいつまでも人を下敷きにしてるのもアレだったのでよっこいせと立ち上がりながらオレは銀髪の男へいくつか質問を投げかけた。
「なあ銀髪の兄さんよ、あんた巨乳派? 貧乳派?」
「へ? あ、えぇっと、どちらかと言えば貧乳かなあ?」
「ふぅん。好みのタイプは?」
「え、強いて言えば家庭的なタイプ、かな?」
「ちなみに家族構成は?」
「えぇ……父と母と弟と妹が一人ずつだけどいったいそれがどうしたの?」
 オレの突拍子もない質問に、銀髪の男も誰もかもが唖然とした表情を浮かべたが、オレはこの男が人間だと確信する。夢見であれば、この質問に答えられないだろう。少なくとも、昔オレの故郷にいた夢見は答えることができないでいた。彼らの興味はあくまで運命の相手にだけ向けられている。好みのタイプも乳の大きさも自分の血縁にすら彼らは興味を示さない。価値を持たない。
「ちなみにこの中で実際に夢見に会ったことがあるのは? オレだけ? だよなあ」
「さっきから一体なんのつもりだ」
 自警団の推定団長さんが、訝しげにオレに尋ねてきた。他の団員は怪我をしている山賊共の手当を始めていた。
「オレさぁ、夢見と縁があって何度か話したことがあるんだけどよ。あいつらは運命の相手以外のことはとんと無関心だから、好みのタイプとか、家族のこととか尋ねてみても答えられねぇんだよ」
「でたらめだとしたら大したもんだ」
「でたらめだったら、もう少し夢見達の扱いも変わったかもな」
「……ま、状況的にもお前さんの言い分が正しいだろ。おい、手当て終わったら適当に捕まえておけ」
 団長さんの指示に従って速やかに山賊共は捕まれられた。最後までゴネていた一人の悪態をつく声が聞こえたが、自業自得だ。後から聞いた話だが、そいつらは一人旅の旅人を狙って奴隷にしていた犯罪者集団だったらしい。
「……で、状況的にあいつらが悪党だって決めつけたわけだけど、お前さんマジで人間? あ、俺は夢見の隷属反対派だから安心して答えてくれよ」
「だから、何度も言うように人間なんだってば! 本物の夢見には他に何かしらの動物の特徴を持ってるの! おれは持ってないの! 人間なの!」
 団長さんがこっそりと銀髪の男に最終確認をしてるのを横目で見ながらため息をつく。涙目になりながら必死で人間だと主張する様はわりと哀れだ。おそらく、何度も似たような目に遭ったのだろう。だとすれば、あの強さにも肯ける。強くなきゃ、奴隷にされてしまうのだろう。
「あぁ、それよりも助けてくれてありがとう。えぇっと」
「トモ、だ。まあ、オレがいなくてもなんとかなってそうだったけどな」
「おれはニード。いや、やっぱり一対四はキツかったし、それ以上におれを人間だって言ってくれて助かったよ」
 握手を交わしながらニードの言葉に思わず苦笑をこぼす。そりゃ、そんなナリしてりゃ間違われても仕方ないよなあと内心思ったりしながら。
「トモっつったか? いや今回は助かった。町を代表して礼を言う」
 団長さんがこちらに向かって綺麗に一礼した。こう言っちゃなんだが、見た目によらず綺麗な礼だった。
「ニードも悪かったな」
 申し訳なさそうにしてるんだかなんだかよく分からない適当な笑みを浮かべながら、そうして団長さんはオレとニードの肩を抱きにかかった。
「……よし、飲みに行こう!」
「ちょっと待って、どうしてそうなるの?!」
「もちろんアンタの奢りだよな?」
 豪快に団長さんが笑いながら、オレとニードは半ば引きずられるようにそうやって山間部の町にたどり着くことになった。
 町に着くと団長さんは宣言通り真っ先に酒場に入っていった。この町は階段が多く、町に入ってすぐの酒場に入るのにも幾つかの階段を登らなければならなかった。ニードは酒に弱いからと必死で抵抗していたが、ガチムチ親父に適うはずもなくずるずると引っ張られ続け、ようやく抵抗をやめたのは酒場を目の前にした辺りのことだった。
「今更だが、俺はイサク。この町の自警団をやっている」
 席について、適当に酒を頼んだところで本当に今更ながらオレらを引っ張ってきた推定団長さんこと、イサクは自己紹介をしてきた。
「団長さんって訳じゃなかったか」
「いや、一応団長という立場にいるが……」
「内心団長さんって呼んでたんだけど、間違いじゃなくてよかったよ」
 イサクはオレの言葉に嬉しそうにしながらそうかそうかと背中をバシバシ叩いてきた。痛い。
「それにしても、トモさんは女性なのに強いねぇ」
「おいおいニード、女性だから弱いってのは偏見じゃねぇのかい? 女はつえぇぞぉ」
「いやぁ、やっぱ男にゃ力じゃかなわないな。そりゃ、鍛えてない奴には負けねぇけど、あんたらとタイマンはったら絶対勝てねぇもん」
 ニヤニヤと、笑いながらニードを茶化すイサクに軽く笑いながらそう言えば、イサクは少し意外そうな顔をした。
「お前さんみたいなタイプは女だからどうのこうのって言われるのを嫌がると思ったが」
「客観的事実にまでどうのこうの言うのはアホらしいって思ってるだけだよ。女は男に比べて筋肉がつきにくい。だから一般的に男より弱いってのは、事実だろ? それを女は弱いとか言うことにやれ差別だの、男性優位の考えだの言うのはなんつーか、みっともない」
 自然と顔がしかめっ面になるのを感じながら答えれば、視界の端でニードがいたたまれない顔をしていた。おそらく、男性優位の考え方云々を以前言われたことがあるのだろう。
「まあ、女のくせにって言われたら怒るけどな」
 オレの言葉が終わるか否かというタイミングで酒が運ばれてくる。それぞれ杯を手に取り、掲げ、イサクがニヤリとまるで悪巧みに成功した子供のような顔をして乾杯の音頭を取る。
「今日は俺の奢りだ。山賊退治のお礼と旅人の歓迎も兼ねてな」
 そのまま杯を合わせ、イサクはゴクゴクと一気に杯を空にし早々に次を頼んだ。ニードは一口含むだけに留めていた。オレは半分くらいを流し込んで、その、のどごしの良さに感心した。ずいぶんと出来の良いエールだ。
「旨いな」
「だろ? この町は中部と北部を繋ぐ中間地点としても有名だが、酒造りの町としてもそこそこ名が通ってるんだ。エールは勿論、ぶどう酒やリンゴ酒も旨い。ほら、ニードも遠慮すんな。飲めって」
「だからおれは酒に弱いの!」
 嫌がるニードの、まだたっぷりと酒の入った杯をほらほらと押し付けるイサクを見ながらオレは笑った。酒場は多くの人で賑わっていて心地よい。旨い酒と愉快な連れと心地よい酒場とくれば出てくるのは旨いツマミと相場は決まっている。
「なぁ、イサク。ツマミは何がオススメだ?」
「ツマミなら、しか肉の薫製とかどうだ? サーモンも旨いぞ」
「おれとしても酒より飯が欲しいんだけど!」
「安心しろ。ここは俺の行きつけだからな。直に運ばれてくるさ」
 イサクの言葉の通り、間もなく料理が運ばれてきた。サーモンの香草焼きと、しか肉と野菜を米と一緒に炊いたもの、それから鶏肉のスープとパンだ。肉を使った料理が多いのは、なんとも山間部の町らしさがあって良い。その代わり野菜はどれも少なめだった。食欲を刺激する匂いに、言葉よりも先に手が出た。
「あっ、これ美味しい! こっちも!」
 ガツガツと料理をかっこんでいくニードは料理が来たタイミングでミルクを頼んで、残りの酒を半ば無理矢理イサクに飲ませていた。どうやら、本当に酒に弱いらしい。勢いよく料理を平らげていくニードをイサクが満足げに眺めながら酒を煽る光景はなかなかどうして良いものだ。旅の醍醐味とでも言うのだろうか。連れが居るとどうしても知らない人と飯を食べる機会というのは少なくなっていく。二人旅には二人旅の良さがあるのだけれど、やっぱりオレには一人旅の方が性に合っていた。
「ニードお前、ほっそいくせによく食うなあ」
「それもよく言われますけど背が高いからそう見えるだけでおれ、結構筋肉ありますよ?」
「そうかあ? 俺に言わせりゃまだまだだけどな」
「そりゃ、アンタと比べたらな!」
 イサクはニードを茶化すのが気に入ったようで、ああでもないこうでもないと茶々を入れては楽しげに笑った。それだけならば、どうしようもない親父でしかないのだが、酒場の人々は親しげにイサクに声をかけていくのだから、ああ見えて慕われているのであろうことが伺えた。
「そういやトモ、お前さんはどっから来てこれからどこへ向かうつもりなんだ?」
「ん、あぁオレは元々中部の出身なんだけど、つい数ヶ月前までは南部をぐるっと見て回ってたんだ。今度は北部」
「へえ! ずっと一人旅?」
「あー、いや、一年くらい南部で出会った使えねー傭兵と一緒に旅してた」
「使えないってどういうこと?」
「女装した男のハニートラップに引っかかる世間知らずのアホなんだよ」
「女装した男のハニートラップに引っかかったのか! そりゃ使えねえ!」
 オレの話でイサクはすでに腹を抱えて大笑いしているにもかかわらず、ニードが飲んでいたミルクを噴き出しそうになって咽せたのがさらに面白かったのか呼吸もままならないほどに勢いを増して笑うもんだから、ニードはそれにつられて笑いながら咽せるし、まわりも笑の波に飲まれてどっと笑うし、オレも何が面白いのかよく分からないけれど笑いが止まらない。良い夜だ。そのうち、盛り上がる酒場の空気に酔った奴らが歌って踊り始めた。どこにでもリュートや笛を持ち歩く芸人というのは居るもので、知っている曲があれば我ぞ我ぞと演奏に加わる。そうして、気がつけばお調子者が即興で合いの手を入れ始めるのだが、それが妙に曲とあっているのだから面白い。
「お前さん、踊りは踊れんのか」
「ん、あぁこの曲は知ってるな」
 まるで挑発するように、イサクがけしかけてくる。気分も良いし、丁度よく知っている曲が掛かっていた事もあってオレは酒場の真ん中の方に向かった。
 この曲は、中部の農村でよく演奏される、豊作を祈る曲だ。歌と踊りで一年の豊作を祈る祭りをオレの故郷でも毎年行っていた。お調子者たちの、その場のノリだけで入れられる合いの手になるべく合わせながら踊り慣れた振り付けを体が憶えてるままにこなす。やんややんやと飛んでくるヤジがまた楽しい。思いっきり思うがままに身体を動かす。酔いでふらつくかとも思ったのだが、案外しっかりと身体は動いた。のびのびと踊るのはやはり楽しい。ついこの間まで故郷に里帰りしていたが、やはり旅先で故郷を思い出す物事に出会うとまた違った新鮮な気持ちになるから不思議だ。曲が終わったので、勿体付けて一礼なぞをしてみれば、そこらじゅうから酒を貰った。
「惚れるなよ?」
 ぽかん、とこっちを見ているニードを茶化すようにオレが言えば、イサクがここぞとばかりに乗ってくる。
「あの踊りが無くても既に惚れてるってさ」
「いやっ、違っ、いや違わないけど違っ!!」
 あわあわと必死で否定しかけるが、それも失礼だと気付いてしまったのか否定を否定することを何度か繰り返して、最後には顔を真っ赤にしてニードはため息をついた。酔っ払って楽しむ場で素面で居るのが悪いのだ。
「あー笑った笑った」
「いや、それにしてもニードじゃねえが、お前さん随分上手く踊るじゃねえか」
「あぁ、故郷の祭りでよく踊ってた曲だったんだよ」
「なるほどなあ」
 客から押しつけられたぶどう酒を流し込みながら、イサクとニードに種明かしをしてやる。別に踊りが得意な訳じゃない。踊れるのは故郷の祭りで踊った数曲だけだ。イサクがオレにオレがさっき貰ってきた酒を飲んで良いか尋ねてくるが、今日はこいつの奢りなのだから、オレの酒は尋ねるまでもなくこいつの酒なのに、豪快で人を茶化すのが好きなくせに妙に律儀な奴だ。
「そういやニード。お前さんはどこから来て、どこへ行くんだ?」
 だいぶ酔いも回ったのか真っ赤な顔をしてイサクがニードに尋ねた。たぶんこの様子だと明日は二日酔いコースだけど、それはオレも一緒だ。この心地よい酒場の雰囲気がすべて悪いのであって、オレもイサクもきっと何も悪くない。へらへらと尋ねるイサクにようやくこの酔っ払いしかいない空間で素面でいるのがいかに面倒なことか悟り始めた様子のニードがさりげなくイサクに水を渡しながら答えた。
「おれも出身は中部だよ。でも、おれはこんなナリしてるでしょ? よく夢見に間違われて家族に迷惑かかってたから、夢見に間違われない地を目指して旅をしてるんだよ」
 おそらく故郷の懐かしさにニードは目を細めた。
「おれもさっきの歌と踊りはよく知ってるからこそ、さっきは本当に驚いたんだよ。おれの故郷にはあんなに上手に踊れる人はいなかったからね。いや、おれの故郷どころじゃない。おれはあんなにあの曲を魅力的に踊れる人は他に知らない」
 そしてそのままさらりと殺し文句を放ってくるあたり、ニードはただ者ではないのかもしれない。いや、正直に答えよう。すげえ恥ずかしい。これまでのやりとりでニードが正直者であることは分かってるし、素面の言葉は酔っ払いにはダイレクトアタックだ。褒められて嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちとが、アルコールで枷のはずれたオレの感情で暴れ回る。アルコールの酔いではない熱さに顔が赤くなる。ニヤニヤとこっちを見ているイサクが妙に腹立たしい。しかし、イサクの怪しい笑みの原因はオレが思っていたのとは別にあった。
「ニード、お前この町で自警団やってみねえか?」
「……えっ」
「お前さんくらい強けりゃこっちとしてもありがたい。もちろん、トモも歓迎するぞお前さんも強い」
「お、おう」
 顔を真っ赤にしながら、うちに来いよと怪しい呂律で喚いているイサクは完璧に酔いつぶれている。思わずニードと顔を見合わせてしまって、二人でため息をついた。宴も、もう終わりか。
「で、実際どうなのよ」
「どうって?」
「酔っ払いの言葉とはいえ、実際アンタの実力は本物なんだし、この町で自警団やんのも悪くないんじゃねえの?」
 酔いさましの水を飲みながら、ニードにイサクの誘いについて尋ねてみた。夜もだいぶ更けて、酒場の熱も、もうだいぶ冷めていた。女将さんや、ここで働いているらしい若者らが酔いつぶれて夢の世界に旅立っている客に毛布をかけて回っていた。酔いつぶれてそのまま朝を迎える客には朝食をだして別途割増料金を貰うらしい。オレとニードは自分たちのぶんの割増料金だけは払って今日はこのままここに泊まることにしたのだった。
「そうだね。悪く無いどころか願ったり叶ったりかもしれないね」
「じゃあ、ここにしばらく滞在すんの?」
「うぅん、そうだなあ」
 願ったり叶ったりという割には言葉を濁すニードの言葉の続きをしばらく待っていると、少し恥ずかしそうにしながら控えめに彼はオレに告げた。
「おれ、生まれてからそりゃもう数え切れないほど夢見に間違われてきたのだけれど、実は一度も夢見って会ったこと無いんだよね。トモさんは会ったことあるんでしょ? どうだった?」
「どうって言われてもなあ……まぁ、良くも悪くも人生変わったよ」
「へえ」
「人と、違う生き物だって心して話さないと、あまりにわかりあえなくて悲しい思いをするかもしれないな」
「そういう思いをしたの?」
「……したな」
 そう、と言って暫く黙ってからニードはおずおずとオレに尋ねてきた。
「トモさんの故郷って、首都から一週間ほどの小麦で有名な村じゃない?」
「知ってるのか」
「うん、噂で聞いたことがある。夢見を匿って以来豊作ではない年がない村だって」
「そうだな。合ってるよ。ついでに言えば、麦の質も上がって、首都じゃ一番の高値で取り引きされるようになった」
「それは、本当に夢見のおかげなの?」
「多分な」
 おそらく、相当にオレが暗い顔をしているのだろう。ニードが心配そうな視線を向けてきた。いつもなら、それで終わるのに今日はまだ酔いが抜けてないらしい。
「別にさあ、富とかいらなかったんだけどなー」
「うん」
「オレ、あの人に幸せになって欲しかったんだよ」
「……うん」
「でも、あの人は人じゃなくて夢見だったから、オレの願う幸せはポンコツで、笑顔でそんなの要らないって突き返されたのが悲しかった」
「そっか」
「あの人と同じ価値観で生きられないことが悲しかった」
 誰かと分かり合えないことは、悲しい。だけど、それ以上に恐ろしかった。オレがどんなにあの人のことを好きになろうと嫌いになろうと怒ろうと感謝しようと、あの人は同じ価値観の中で生きていない上に価値観を共有しようともしないからまるで虚空に向かってずうっと小石を投げ続けているかのような感覚に陥ったものだ。けれど、朝焼けの中で一度だけあの夢見が笑ってくれたから、オレはまだ心のどこかで、あのままあの夢見が生きていてくれたのなら、いつかあの夢見と分かり合えた日が来たのではないかという妄想を捨てきれないでいる。もう、あの夢見はどこにもいないのだから、そんなことはあり得ないのに。
 頬を涙が伝うのが分かる。ニードは何も言わないでいてくれた。それがなんだか妙に有り難かった。
 そのままその町には天候の妙もあってなんだかんだと一週間ほど滞在しただろうか。その間に正式にイサクから自警団への勧誘を受けたが、オレもニードも辞退した。イサクはそれをいたく残念がったが、仕方ないと諦めたようで最後には、北部の地域ごとの特徴や気をつけなければならないことなどを教えてくれて、ニードには信頼できる傭兵をつけてくれた。ニードが一人旅をする理由には、雇った傭兵に売り飛ばされることがあるから、らしい。まったく難儀な風貌である。彼は、オレの話を聞いてやはり夢見に会いにいこうと決心したらしい。オレはそれを止めることはしなかったが、内心止めておけば良いのにと思った。ここで暮らせば良いのにと思う。イサクは出会った時に言っていたように夢見の隷属を快く思っていない人間だ。信頼できると思うし、ニードも安心して暮らせると思ったのだけど、まあ、安寧を求めるということは、単に安全な生活をするということだけではないという事なのだろう。イサクはオレにも傭兵を付けようとしてくれたが丁重にお断りした。オレはおそらく、ただ単に一人旅が好きなのだ。
「機会があったらまた寄ってくれ」
 オレとニードを交互に抱きしめてからそう言ってイサクはオレたちを見送ってくれた。
「次来たときは嫁さん貰っておけよ」
「あっ、子供も見たいなあ」
 去り際に、オレとニードの二人掛かりでイサクを茶化すことも忘れない。意外にも、イサクはまだ独身だったらしく、オレとニードも恋愛沙汰にはとんと縁がないくせに、滞在中はそれで散々イサクをからかった。
「じゃあ、トモさんもどうぞお元気で」
「あぁ、またいつか」
 町を出て最初の分岐点でオレはニードとも別れる。ニードは一度中部の方へ戻ることにしたらしい。オレは当然北部を北上していく。この町にいると分かっているイサクはともかく、おそらく、ニードと再会することは難しいだろう。名残惜しさは仕方が無い。けれど、もう一度イサクとニードと三人で酒を飲み交わせることができれば嬉しいと心から思った。
 そしてまたオレは一人で自由気侭に旅を続ける。