自由を愛した旅人

 のんびりと自由気侭に旅をしていた。美しい景色も見た。醜い人の業も見た。荒れ果てた荒野を抜け、深き森をさまよい、切り立った崖を渡り、幾つもの街にたどり着いた。特に理由のある旅というわけじゃなかった。ただ、空は高く高く広く、自由であるにも関わらず、村の中だけで人生を終わらすのが惜しかっただけだ。家出当然で村を出たけれど、故郷に確執があるわけじゃない。いつか、空の自由さに飽きた時が来たら故郷に帰って、流れゆく雲を眺めながら人の生の不自由さを噛みしめて有限の時の美しさを感じながら幸福を探そうと思っていた。
 しかし、人生とは時にうまく行かないもので、うっかりと足を踏み入れてしまった樹海の先にあったのは夢見たちの集落だった。
 夢見というのは、人の形をしながら体のどこかに動物の特徴を持つ、人ならざる生き物のことだ。彼らの持つ動物の特徴も夢見ごとに共通というわけではなく、個人で違うらしい。親の特徴を受け継ぐわけでもないらしい。彼らは、普段夢を見ることがないという。人生で一度も夢を見ないことが殆どなのだそうだ。にもかかわらず彼らが夢見と名乗るのは、夢で運命の相手を見るからなのだといつか話に聞いた。夢見が見る夢は運命の相手の夢だけで、人間が見るような意味のない、いわゆる普通の夢は見ない。だからなのだろうか、夢を見ることのできた夢見はとても幸福な夢見なのだそうだ。夢を見た夢見は、その後の生を運命の相手と出会い、その相手に仕え捧げることに費やす。そして、夢見の運命の相手に見初められ、夢見に仕えてもらった人間はその後、必ず人生に成功するというジンクスが存在する。ただ、大抵の人間は夢見の運命の相手に見初められた者だけが成功することを知らず、夢見がそばにいれば必ず成功すると思いこんでいる。事実、旅の途中で幾度と無く奴隷にされている夢見を見た。人を奴隷にすることを許している国はあまりないのだが、生憎と夢見は人間ではないので、様々な国で必ずと言っていいほど夢見の売買をしている場面に立ち会っている。可哀想だとは思うのだが、どうにかできる訳もなく、ただ夢見が成功祈願の生きたお守りかなにかのように扱われている、そんな風景を通り過ぎてきた。
 こんな感じで夢見がどのような生き物かを知っているから、夢見の集落に知らずのうちに足を踏み入れ、夢見達に捕まり、あれやこれやと結局、夢見達の集落の場所を隠し通すために殺されることになっても、まあ、仕方がない。運がなかったなあとしか思わなかったのかもしれない。
「すまないが、お前さんが私たちの集落の場所をいつ誰にバラすかも分からない中、お前さんを生かしておくのはちぃと厳しくてのう」
「まぁ、それは妥当だと思うし、オレも仕方ないと思ってるさ。抵抗もしない。ただ、まぁ、出来ればアンタらのやり方で良いからオレを殺した後、手厚く弔ってくれ。そのくらいは望んでも良いだろ?」
「あぁ、確かに約束しよう」
 集落で一番年寄りの夢見とそんな会話を交わし、そそくさとオレの処刑の準備をするのに、オレが捕まってから二日ほど費やされただろうか。その間、簡単な牢屋に入れられた。食事も与えられたが、要らないと断った。あと数日の命の人間に食事は要らないと思ったし、どう弔われるかも分からなかったから、なるべく腹の中にモノを入れたままにしたくなかった。いつ死ぬかが分かっているのなら腐臭はなるべく少なく死にたい。
 我ながら、殺されるにしては些か暢気過ぎるとは思う。夢見達も訝しく思ったのか随分警戒してたようだが、別に夢見達を奸計に陥れようなどと思ってたわけではなく、死ぬときゃ死ぬとずっと思っていただけだ。そうではないなら、風景とともに通り過ぎていった幾人もの奴隷にされた夢見達への贖罪か。どちらにせよ、旅の終わり兼人生の終わりが樹海に閉ざされた夢見達の集落で処刑されるなんていうのはなかなかドラマチックで悪くない。ただ、牢屋の中で故郷にいる家族のことだけはずっと考えていた。勝手に飛び出して、勝手に見知らぬ土地で死ぬオレを家族はいつまで待ち続けてくれるだろうか。もしかしたら、もうすでにオレの帰郷は諦めているかもしれない。だけど、それならそれで良いと思った。むしろ、そうあってくれとさえ思う。母さんが聞いたら馬鹿馬鹿しいと呆れたように少し憤るだろう。父さんが聞いたら若い娘がどうのこうのと煩いに違いない。けれど、見知らぬ土地で野垂れ死ぬ自由にオレは憧れた。ああなんて馬鹿な青臭い憧れだと人から後ろ指指されようがそれはオレが望んだ自由だ。帰りを待ちわびる家族を蔑ろにしたオレの手前勝手な憧れだ。だから、家族がオレの生死に一喜一憂しない方がオレにとっては有り難いのだ。自分勝手な娘に心を割くことなど無くて良い。けれど、何もない辺鄙な農村だとしても、家畜が鳴き、農作物が風にさざめき、農作業をする村人の暢気な歌声が響くあの故郷に帰りたくないわけがない。少しの哀愁を胸にオレは死ぬ。自由とともにオレは死ぬ。なんというか、そういうところがすごくオレは人間らしいと思う。
 ガチャリと錠が外され、後ろ手に縛られオレは処刑されに行く。夢見は人の生死を娯楽にする趣味はないらしく、ひっそりとした場所でオレは首をバッサリとやられるそうだ。最悪見せ物になることも覚悟してたが、これは有り難かった。旅の途中では罪人の処刑をまるで見せ物かなにかのように扱い、露店が建ち並ぶ中歓声とともに罪人の首がはねられるようなそんな国ばかりだった。
 夢見たちが申し訳なさそうな顔をしてオレを引率するのを、逆にオレが申し訳ない気持ちで歩く。死へと歩く。静かな樹海の中で、鳥達がさざめき歌う声を鎮魂歌にオレは死ぬらしい。実に悪くない。
「まって! お願い待って! 彼女を殺さないでお願い!!」
 少し開けた場所が見えてきたところで、若い女の悲鳴が聞こえてきた。必死に懇願する声はまるで殺されそうになっている子を助けようとする母親のような、そんな狂わんばかりの必死さと気迫がある。
「なんだ、オレ以外に処刑されるやつでもいるのか」
「いいや、お前だけだ」
 まるで今日の処刑を止めるように懇願するような言葉だったが、この集落にオレの知り合いなど一人もいないので不思議に思い、誰か別の夢見でも一緒に処刑するのかと尋ねてみれば、やはり今日処刑されるのはオレだけだという。オレをここまで引率した夢見も、先に広場でオレを待っていた夢見も、そろって困惑した表情を浮かべている。
 それでは、気も狂わんばかりに悲鳴のような懇願の声を上げているのは一体誰なのだと広場の方を覗いてみれば、紅茶にミルクをたっぷりと入れたような、仄かに木漏れ日に輝くふわふわとした髪の少女がおそらくオレを処刑する張本人なのであろう夢見にすがりついていた。髪の合間からは、茶色いウサギの耳が覗いている。夢見の集落にいるのだから当たり前だが、彼女も夢見なのだろう。
「おい、ユキどうしたんだ一体?」
 オレを引率していた夢見が、少女に声をかける。ユキと呼ばれた少女は、こちらをバッと振り返った。右が金、左が黒のオッドアイとオレの視線ががっちりと絡まると、彼女はぽろぽろと泣き出した。彼女の不思議な瞳から白い肌を伝って、きらきらと涙が輝く。同性から見ても可愛らしい顔を喜びと悲しみの入り交じった複雑な表情に歪ませながら、彼女は跪く。
「お願い、彼女は僕の運命の相手なんだ、どうか殺さないでお願い……」
 絞り出すような声に、その場にいた全員が驚いた。もちろんオレも驚いた。というか多分オレが一番驚いた。
 夢を見る夢見は、本当に稀な存在らしいのだ。十年に一度、夢見たちの集落に一人、現れるか現れないかというくらいしか夢を見る夢見は居ない。さらに、夢見が夢に見るのは何も人間だけではない。動物や植物、その辺に落ちている石ころまで、夢見が夢に見るものは多岐に渡る。だから、夢を見た夢見と、その運命の相手が出会うのは本当に、本当に稀なことなのだ。それこそ、運命としか言いようのない出来事なのだ。現に、あと少しユキと呼ばれた少女がここにくるのが遅かったならば、ユキはオレと出会うことなくオレは死んでいたわけだし。
「おいユキ、それは本当なのか」
「うん、間違いないよ。その人は僕の運命の相手だよ」
「それは……それだと殺すのは……」
 オレはといえば、そんな夢見達のやりとりを眺めながら驚きはしたが、ユキの話を疑うことは無かった。夢見は運命の相手を決して間違えない。本人がそうだというならば、オレは確かに彼女の運命の相手なのだろう。実に、人生とは上手くいかないものである。せっかく死ぬ覚悟を決めていい気分であの世へ旅立とうと思ったのに、きっとオレは生き延びるのだろう。夢見達にとって、運命の相手というのは本当に大切な存在なのだ。殺せるとは思えない。このまま死ねずに残念かと訊ねられて残念だと答えれば嘘になるが、それでは助かりそうで嬉しいかと訊ねられて素直に嬉しいと答えてしまうのも、それはそれで嘘になってしまいそうな、人間の若者にしては我ながらなかなか破滅的な感情を持て余しながらオレを運命の相手だと主張する夢見をじっと観察する。こう言っては難だが、愚鈍そうな、少し頭の緩そうな少女である。以前、北方の国で出会った夢見を研究しているという研究生のことを思い出す。あの研究生も愚鈍そうだったが、彼女もそれに負けず劣らず愚鈍そうだ。家事すら出来るのかどうかも怪しい。
 結局、オレの処刑は一度中止し、集落にこのことを報告し改めてオレの処遇を決めることにしたらしい。まあ、妥当だろう。むしろそれ以外無いだろう。
 しかし、夢見というのは本当に純粋な生きものなんだとつくづく思う。オレを処刑するはずであっただろう夢見はほっとした様子を隠すこともしなかった。オレを引率した夢見は、はにかみながら、きっと君の命は助かるよ、なんて嬉しそうに話しかけてくる。これが、人間だったらどうだっただろうか。残念そうな顔をして、運のいい奴め、とか、この死に損ないめ、とか言われるのだろうか。いつかの旅先で出会った、南部の港町を取りまとめていたあの男だったら間違いなくそう言うだろう。故郷の人たちを想う。あの人達だったら、どんな言葉をかけるだろう。オレの家族は、もし、こういう状況に出くわしたら、どんな反応をするのだろう。今までの旅で、美しい景色も見た。醜い人の業も見た。荒れ果てた荒野を抜け、深き森をさまよい、切り立った崖を渡り、幾つもの街にたどり着いた。そして、たくさんの人の優しさに助けられてきた。
 ふいにギュッと、柔らかい体に抱きしめられる。
「君に、君に出会えて良かった。君を、抱きしめることが出来る。君を、君の話を聞くことが出来る。怖かったでしょ? もう大丈夫。何があっても、僕が君を守るよ」
 抱きしめてきたのは、ユキだ。太陽の朗らかな優しい匂いがする。暖かい体温を感じながら、今まで触れてきたすべての優しい記憶が蘇る。あぁ、そうだった。人間だって、とても優しい。夢見達ほど純粋じゃないが、いや、だからこそ。人間は多くの矛盾を抱え、傷つけ、傷つくからこそ、夢見達よりもずっとずっと人に優しくできる生きものじゃないか。純粋で体温を感じられない夢見達の言葉を思い出す。そうだ、ずっとオレは怖かった。怖かったんだ。死ぬのも怖かったけど、何より、夢見という人間とは違う生き物達が恐かった。
「あぁ、泣かないで。ねえ、泣かないで。ちゃんと君を守るから。もう何も君は怖がることなんて、ないんだよ」
 そうじゃない、そうじゃないんだと言うこともままならずに、オレは夢見という理解の及ばない生きもの達の中に放り込まれてしまったオレ自身の恐怖にようやく気づいたのだった。