夢見の見た夢

 気がついたら、僕は見渡す限りの夜の世界に居た。星は綺麗で、月は優しく、歌が響くとてもよいところだ。酷使された肺の痛みは無い。悲しみに軋む心臓の嘆きも無い。妙にさっぱりとした胸を抱えて、透明な空気の中、僕はただ其処に居た。
 この世界に鳴り響く歌を、僕は知っている。僕は確かに知っているはずなのに、その歌をどうしても思い出せずにいた。歌は僕の耳をするりと通り抜け、意味の持たない音へと変換されて僕の頭で消えていく。その連続の中、僕は寂しさに襲われて静かに泣いた。
 ここはとてもよいところだ。星は綺麗で、月は優しく、歌が響く、美しい夜だ。星たちは彼らの物語を語り僕の耳を楽しませ、月は日によって姿を変え僕の目を楽しませる。けれど、鳴り響く歌は僕の心を慰めてはくれない。孤独のなかで、寂しさにうち震える僕の心は歌に癒されることは無い。深い藍色の美しい永遠の夜の中で、僕は必死にここに無い色彩を探していた。妙にさっぱりとした空っぽの胸を抱えて、僕は何かを探して歩いた。
 永遠の夜は続く。どこまでも続いていく。夜が空けず、明日の来ない世界を僕は独りで歩く。とても寂しい。ここは美しく、とてもよいところだけれど、僕は酷く寂しかった。例えば、生命に牙を向く灼熱の太陽と極寒の夜を交互に迎える砂ばかりの世界や、身体を蝕む汚染された空気から逃げるように地下へ潜ることを余儀なくされた世界でも、こんなには寂しくないはずだ。そこはきっと、ここよりずっとずっと美しくもなく、素晴らしくもなく、よいところでもないだろう。けれど、こんなに寂しくも、虚しくもないはずで、美しい静寂の、永遠の夜の中、僕はそう思ってひたすら探し歩いた。僕の幸せの色。青ばかりの永遠の夜の終わりを。
 寂しさに耐えきれず、僕はとうとうしゃがみ込んで本格的に泣き始めた。ぶくぶくと涙は溢れ出して止まることを知らない。夜が空けないから、僕の寂しさも、悲しみも、晴れないままだ。美しい静寂の永遠の夜の中、僕はこうやって独りでずぅっと泣きじゃくるのだろうか。人肌を恋しく思って、ただ、母のぬくもりを手にする為に泣きじゃくる赤子のように。ただ、あなたに会いたいという僕のほんの一匙の願いが叶わないことに僕はずぅっと泣き続けるのだろうか。ここはとてもよいところだ。星は綺麗で、月は優しく、歌が響く、ここはとても、とても、よいところだ。けれど、僕は独りで、寂しい夜だ。  そうやって泣きじゃくっていると、ふいに、歌が僕の頭に届いた。ずっと世界に鳴り響いていた僕の中で消え去っていく透明な歌じゃない。そうだ、僕はこの歌を知っている。懐かしい星めぐりの歌だ。それに気付いた僕はバッと顔を上げて、その声と一緒に星めぐりの歌を歌った。そうだ。永遠の夜の中で僕は約束を忘れてしまっていた。僕は星めぐりの歌を歌いながら、君を待っていると約束をしたんだった。僕が探しても、僕は方向音痴だから、きっと、君を見つけられない。だけども、僕を見つけてくれるのは、いつだって、君だ。
 そして、青ばかりの中、僕が待ち望んだ色が現れた。鮮やかな、緋色を纏った君が。君と約束をした日、柔らかな光に浮かぶ鮮やかな君の緋色を僕は思い描いたけれど、僕の想像の中よりもずぅっと綺麗な色を君は纏っていた。
「もう来たのか」
 呆れたようにそう言った君の顔は、それでも少し笑っていた。眉尻を少し下げて、困ったように少し笑っていた。僕が最後に見た君と同じ様な顔をしていた。
 君に早く触れたいと、駆け出したところで僕は起きた。ガバッと布団を跳ね上げるようにして僕は現実世界へと引き戻されていた。
「ゆ、め……?」
 乾いた喉を引きつらせて絞り出した声が、僕の頭を覚醒させる。夢だ。夢を見た。僕の運命の人の夢を。僕がずっと探し続けて最後に見つけた人の姿がふっと浮かんで、僕は思わず叫んだ。なんという幸運だろうか。僕は彼女のことを知っている。彼女が何処に居るのか知っている。けれど、早くしないと。彼女の処刑は今日だったはずだ。
「待っててね、トモ……!」
 知らないはずの彼女の名前を、僕は呼ぶ。夢の中で呼んだわけでも、彼女がそう名乗ったわけでも、その名を知らされたわけでもないけれど、僕はその名を知っている。いつだって、僕を見つけてくれるのは君だったけれど、今日、僕は、君に会いに行くよ。