第一章 ルフィルスタウン

 町の入り口に着き、二人は街の喧騒の中から砂の吹き荒れる砂漠を見た。狭い街とは違い、何もない荒野がそこには広がっている。
「トモは、旅に出たいって言ってたよね。それってさ、何でなの」
 荒野を見ながらユキはトモに訪ねてみた。マスターにトモを自由にしてやってほしいと言われたが、ユキはトモが本当に旅に出たいと思っているのか図りかねた。ユキにも故郷を滅ぼされる前に、そう思ってた時期があった。ただ、家族がいて幸せな場所から離れることが良いこととは思えなくて馬鹿馬鹿しくなったのだ。それと同じではないのかとユキは思った。
 トモはしばらく、口を閉ざした後、躊躇いがちに言う。
「すげぇ抽象的っつーか、オレにもよくわかんねぇんだけど……使命って言うのかな。なんか、オレ、旅に出ないといけない気がするんだよ」
 一瞬、ユキはなんだそれ、と思ったがトモ自身もその答えに戸惑っているようだったので何も言わないでおいた。
「オレさ、イサクに拾われる前からニードといたらしいんだけど、なんで両親と別れなきゃならなかったのかとか、あいつ、教えてくれないんだよ。でもよ、それには理由があるはずなんだ。オレが、両親と別れて此処にこなければならなかった理由が。それを、探しに行かなきゃならないと思うというか」
 続けたトモの言葉に、今度はユキも納得できた。言葉を並べていくうちに、口調に迷いがなくなり、表情も穏やかになっていくトモが何を想っているのかユキには分からなかった。ただ、そこには逆らえない何かを感じた。
「それに、オレには帰る場所がある。なぁ、ユキ。オレも旅に出ようと想うんだ」
 そういって、砂漠を背景に振り返るトモの表情は穏やかだったが、瞳には強い意志の光がともっていた。埃っぽい風が吹き、トモのマントを捲り上げて緋色の髪をなびかせれば太陽の光が緋色の髪に反射して綺麗だとユキは思った。
「お前の旅が普通の目的でないことも危険を伴うであろうことも、オレは覚悟してる。でもな、だからこそお前と旅がしてみたい。好奇心は強いほうなんだ。此処まで首を突っ込んでしまったら後には退きたくない」
 それは昨日とは打って変わって、迷いのない真っ直ぐで強い言葉に代わっていた。マスターの不安も強い絆を持つ兄妹の前では杞憂でしかなかったのだ。
「ニードさんはどうするの」
 ユキ自身も、トモと旅をしたいと望んではいるが、同時にトモはこの町に必要な存在で此処にいるべきだとも思う。屋台を出す人、すれ違う町の人々、みんながみんなトモに親しげに声をかけていった。英雄の一人娘と言うこともあるだろうが、トモの強さや真っ直ぐさそういった人柄がそうさせるのだろうと一緒に歩いてユキは強く感じた。何より、故郷を亡くし旅に出ざるを得なかったユキは故郷や家族への思いが強い。故郷を出て行くということが、それをするのがたとえ自分でなくとも抵抗があるのだ。
 けれど、トモは言う。ユキの思いを見透かしたように。
「オレが、旅に出たいという思いを懐いたまま此処に暮らし続けるのをアイツがよしとするはずがなかったんだよ。それに、ここには街の奴らがいる。誰もニードを放っておくような薄情な奴はいないんだよ。つーかそもそも、ニードは神様の求愛なんか突っぱねてオレといるような奴だしな。この町には自警団もある。役人もいる。英雄はもう必要ないし、俺は此処を捨てるんじゃない」
 一呼吸おいて、トモははっきりとこう告げた。
「此処がオレの帰る場所なんだ。だからこそ、オレは行ける」
 ユキは、何も言わない。ただ、トモの言葉に自分とトモとの決定的な違いを感じた。帰る場所を失ったことで旅に出ざるを得なかったユキと、帰る場所があるからこそ旅に出ることができるというトモと、しかし、その違いこそが二人を惹きつけたのだろう。
「お前は、強いと思うよ。オレは、帰る場所が、此処がなければきっとどこにも行けない。生きていくことすらきっと辛い。帰る場所があるからオレは強くいられるんだ。故郷も家族も何もない。その自由はオレには重過ぎるんだ。大きすぎるんだよ。そんな世界を、自由を、ユキ、お前は独りで生きたんだ。凄いよ、お前」
 その真っ直ぐなトモの言葉はユキの中に浸みこんでいった。独りになった時から、誰一人として自分を知らない世界で足掻くように生きてきたユキはようやく息継ぎができたような、肺を圧迫していた何かが取れたような開放感と、今まで塞き止めてきた感情が溢れてくるのを感じた。
 生きている、自分の名を呼ぶ人がいる、自分と会話をする人がいる、生きている。世界の中に自分を認知してくれる人がいる。その喜びを、安心感をユキは改めて感じた。
 もう、この世界に独りじゃない。
 トモの言う帰る場所は、いつでも、自分を受け入れてくれる場所。自分を理解してくれて、認知してくれて、此処にいることを許してくれる場所。ならば、自分の帰る場所はトモの隣がいいと、ユキは思った。トモの隣が自分の帰る場所になってくれれば、それは凄く幸福なことだと思った。
 感情のままに泣きじゃくるユキに、トモはただ肩を心音と同じくらいのテンポで叩いてあやすだけだった。それでも、それがなんだか心地よくて、安心できて、ユキはさらに涙が止まらなくなる。
「落ち着いたか」
 トモの問いにユキは一度だけうなずいて、今度は笑った。なんだか、久しぶりに笑った気がした。