第一章 ルフィルスタウン

「行くんだね」
 まだ日が昇りきらない早朝、玄関先でニードはトモの後姿を見つめた。
「あぁ、行って来る」
 少し寂しげなニードの笑みとは対照的に、振り向いたトモの顔は穏やかでどこかすっきりとした印象を与える。
「んな顔するなよな、ちゃんとオレは帰ってくるって。大丈夫だ。どこに行ったってオレの帰る場所はここしかねぇよ」
 はじめて見る兄の頼りなさ気な表情にトモはなんだかむずかゆいような照れくさいようなそんな感覚を覚えた。
 静かな町に、トモの声は良く通る。ニードやその他たくさんの人の予想を裏切り、トモは町の人に何も言わずに旅立つことを選んだ。人との関わりや礼儀と言ったものを大切にするトモにしては珍しいその選択に、慣れ親しんだ町を離れることへのトモの思いをニードは感じた。迷い、苦しみ、悩みに悩みぬいて最愛の妹が選んだその選択をニードは誇りに思い応援しようと思ったのだ。家族として、兄として。
 真っ直ぐこちらを見る清々しい顔に強い光の灯った緋色の瞳に愛しさを感じ、思わずニードはトモを抱きしめる。
「……行ってらっしゃい」
 抱きしめたまま、搾り出された言葉にありったけの愛情をトモは感じた。
 そっとニードと距離をとってみると抱擁はあっさりと解かれ、一歩の距離が開いた。そのまま、トモは本通りへと歩き出す。そして、見えなくなろうとするギリギリのところでもう一度振り向き飛びっきりの笑顔でニードへと叫んだ。
「行ってきます、兄さん!」
 言い終わるやいなや、今度こそ本通りへと駆け出しトモの姿はニードから見えなくなった。
 最後に兄と呼ばれたのはいつのことだっただろうか。血の繋がりは無くとも兄妹の絆は確かに存在すると信じてはいたが、それは自分の独りよがりなのではないかと言う不安をニードは抱えていた。だが、今、トモは確かにニードのことを兄と呼んだ。たった一言ではあったが、一緒に過ごした十年以上の歳月の中にしっかりと家族としての愛があったことを確信させてくれた。
――どうか、どうか無事で。
 旅立った妹にも似た太陽に向かって、ニードは祈りを捧げた。

「思いのほか早かったね」
 町の入り口で、ユキは待っていた。町の人には黙って旅立つと言っていたものの、ニードにはさすがに話してからにするといっていたので、早朝に待ち合わせと言ったもののもう少し陽が昇ってから来るものだと思っていたのだ。
「だって、帰ってくるし」
 そっけなく答えたその態度に、ユキは微笑んだ。
「じゃぁ、行こうか」
 町に敷かれた石畳から一歩、やわらかい砂を確かに踏みしめて二人は砂漠に出た。今はまだ風が冷たくて涼しいが、すぐに灼熱の太陽が砂を焼き、灼熱の世界へと変わるだろう。マントを被って、少し離れた遺跡へと向かう。
 最後にもう一度だけ二人はルフィルスタウンを振り向いた。静かな早朝の町から砂漠へ、二人へと向かって風が吹く。
 もう一度歩き出したのはどちらが先か。旅はようやく始まった。