第一章 ルフィルスタウン

 今でこそ、裏通りも表通りもそれなりに共存しているルフィルスタウンも、二十年ほど前まではお互い接触せずに存在していた。
 もちろん、自警団なんてものはなく、運悪く裏通りに入ってしまった旅人は身包みはがされるのが当たり前だった。
 今のように、裏通りに入ってしまっても身包みはがされるのが運の悪いこと、と言えるまでになったのは一人の男の活躍のためであった。
 男の名は、イサク。
 トモとニードの育ての親であり、自警団「ヴァンパイア」の設立者であり、性質の悪い領主からこの町を救い処刑されたこの町の英雄。
 もともとイサクは、裏通りの責任者の家系の生まれである。責任者、と言っても表通りに被害を出さないようにするためだけの監視役。イサクの両親も、先祖も、その仕事が嫌いでルフィルスタウンそのものを憎み、そのため役目をほとんど果たすことなく荒れていった。
 表通りからも、裏通りからもうとまれる家系。
 荒れてすぐに死んだ両親。
 そんな環境の中でイサクは育ったにもかかわらず、彼が荒れることはなく、むしろ町を自分の生まれた家系の呪いを裏通りと表通りの関係をどうにかしようと一生懸命になった。
 裏通りを掃除し、住民を説得し、旅人に警告し、問題が起こったなら解決するように走り回る。
 彼が十五歳のときからはじめたその活動は、一年、二年……五年と続いていく。
 なかなか、変わることのなかった環境も、五年もすれば彼の熱心な態度に住民の心も動かされ始めた。
 そして、そんな彼の姿に惚れた一人の若い娘がいた。イサクと彼女は恋に落ち、彼女は全力でイサクを支えイサクも全力で彼女を愛し二人は夫婦となった。
 少しずつ、街が一つになろうとした頃イサクと彼女の間に子供ができた。街の人々もそれを祝福した。そう、一部の裏通りの若者を除いて。
 イサクの活動に反感を持った裏通りの若者の一部が「ブラックウルフ」と言うグループをつくり、各地で問題を起こし始めた。もちろん、イサクは止めるために一生懸命になった。それに共感したブラックウルフ以外の裏通りや表通りの若者が手を組んで一緒になって戦った。結果は、火を見るよりも明らかでイサクたちの完全なる勝利だった。だが。
 騒動も治まりかけ、ブラックウルフもほとんどが捕まり、今度こそ街が平和へと向かおうとした所で、ブラックウルフのうちの一人が、イサクの妻を身ごもった子供ごと殺したのである。
 そのときのイサクの荒れようはとんでもなかった。酒に溺れ、ことあるごとに町の人に暴力を振るった。
 また、街が分裂しそうになる。
 しかし、イサクとともにブラックウルフを抑えた若者たちが彼を闇から救った。酒を飲んでいるイサクをなぐり、また荒れ始めた裏通りを見せて回り、叱咤したらしい。そして、そんな時期に彼はトモとニードを拾った。
 心の傷を抱えながらも、町の人とトモとニードの存在に支えられ、もう一度イサクはがんばった。
 そして、今のルフィルスタウンがある。


「イサクのおかげで、今のルフィルスタウンがあるとは言っても、あいつがもう少し娘を守ろうとしてくれていたらと、孫のことを考えてくれていたらと、どうしても思ってしまうんだよ。レアも、娘が死んだショックで、精神的に駄目になって逝ってしまった。もともと体も弱かったのでな」
 マスターは、寂しそうに笑った。
 どんなにイサクが英雄だと言われても、彼と娘が結婚した所為で娘が孫が妻が死んでしまった。それは、どんなにやるせない気持ちだったのだろう。
「マスターにとって、トモは孫のようなものなんですね」
「あぁ。そうだ。イサクは、娘と孫が殺されたときも、トモとニードを拾ったときも、謝罪に来た。けれど、どうして彼を責められよう? 恨みはすれども、責めることなどできない。それに、イサクがトモを連れてきたときにな、トモが笑ったのだ。わしに、笑いかけたのだ。どうして、恨むことが出来る? 孫の代わりに愛される彼女を、愛することはできてもどうして責めることができる?」
 あまりに、複雑な感情。
「イサクさんは、何故お亡くなりに……?」
「それはな、性質の悪い領主がいてな、ルフィルスタウンに重い税金をかけてきたことがあった……イサクはそれが許せずに反乱を起こし……処刑された」
 街の英雄イサク。妻と子供を愛しきれなかった人。拾った子供でさえ面倒を見切れず街のために散っていった英雄。
「だからワシは、イサクを英雄とは思わん。娘も孫もあやつの所為で死んだし、トモもニードも最後まで面倒を見ずに死んだ。そんな奴が、街の英雄など……」
 責められず、恨み続けたマスターの気持ち思うと、ユキは何もいえなかった。マスターはトモに妻と娘と孫の面影を重ねてしまっているのだろう。なんて、複雑で悲しい感情。
「どうして、この話を僕に?」
「それはな、お前さんが昔トモと遊んでいるところを一度だけ見たことがあるような気がしてな」
 その言葉にユキは心底驚いた。ユキが昔ここに一度来たときとすっかり変わってしまっているのに。
「何でそのことを?」
「ジジイの勘、さ。お前さん、トモと旅に出たいと思うのならどうかトモを街から役目から開放してやってくれ。トモまで、イサクのように娘のように孫のようになってほしくは無いんだよ」
 あまりに真剣なその態度と言葉に、ユキは思わずうなずいてしまった。
 けれど、決めるのはトモだ。もう少し彼女を話をしよう。できればニードとも話をしよう。ユキはそう決心した。


「世間一般様に流れている噂じゃぁよ、その滅ぼされた村は、滅ぼされちまったんじゃなくて、呪いにかかってある日一晩で消えちまったって話だぜ。人も、家も、村があった痕跡は何も無いんだとよ」
 一方酒場では、いやらしく笑いながらライアが情報を語る。
「じゃぁ何でお前はその村が滅ぼされたんだとオレに話したんだよ?」
 トモは、真剣にその情報に耳を傾ける。メモは一切取らない。それは暗黙の了解である。そして、ライアも訊かれたことは何一つ包み隠さず話す。コレも暗黙の了解であり、ライアが街一番の情報屋とされる所以である。
「そりゃぁ、トモに間違った情報は話せねぇからなぁ」
「だから、なんで消えたんじゃなくて、滅ぼされたってほうをお前が正しい情報だと思ったか理由を聞いてるんだ」
「それは、俺がその村がボロボロになったところを見たからさ。ほら、俺がこの間まで姿をくらましていたときだ」
「あー、なんかお前いなくて町のやつらが騒いでたなぁ。あぁ、そんで帰ってきたときにあの雑魚の情報持ち帰ったんだっけか?」
「そうそう、そんときによぉ見ちまったんだよ、その廃墟となった村から王家の紋章付けた奴が出て行くのをさ」
 これ以上無いほどに楽しそうにライアは語る。
「しかも、村の奴らの遺体を運んでたんだ。さすがの俺でも驚いたね。さらに、だ。王家の奴らが去ってから一日置いて何か良いネタが無いかさがしに戻ったらよぉ……村が丸ごとなくなってやがった」
 とうとう、堪えきれずにライアは大声で笑い始めた。さも可笑しそうに、楽しそうに。トモはそんな異常な様子にさすがに眉をひそめた。もとより情報狂のライアを正常だとは思っていないが、今回はいささかハイテンションすぎる。
「その上、まだあるんだ! その光景が信じられなくて、また一日置いて村のあった場所に戻ってみたら墓標があったんだ! 王家のやつらがそんなことするはずが無い……つまり、生き残りがいるって訳だ」
 最後の一言。それでトモは確信した。その村の生き残り。おそらくそれはユキだろう。証拠は何も無いが、何故かそう確信できた。
「そうか。良い情報を聞けた」
 静かに、しかし好奇心を静かに心に忍ばせてトモは言った。その様子にライアは嬉しそうに報酬の話を切り出す。
「で、報酬だが……」
「前回の無断脱退と明日から無期限脱退の許可。それでどうだ?」
 その言葉にライアの動きが止まった。それに満足したのか、トモはいたずらな笑みを浮かべ、続ける。
「お前言ったな? お前が姿をくらましていた間、その村にいたって。それって、オレが……親父も許可してなかった無断脱退だよな? それを特別に許可してやるんだ。その上、どうせお前今日、その噂の真偽とかネタとか他の情報とかを探しにいきたくてうずうずしててオレに許可取るつもりだったんだろ? じゃぁ、報酬はそれでいいよな?」
 ライアは、言葉を告げないでいる。それをトモは肯定ととった。
「交渉成立な。どうせオレから情報も搾り取るつもりだったんだろうけどな。あいにくてめぇにくれてやるほどの情報はねぇな」
「俺の情報から何か結論を出したくせによぉ。食えねぇ餓鬼だ」
 苦々しげにつぶやくライアを尻目にそりゃどーも、と言ってトモは店を出た。