第二章 飛竜

そのまま、ユキがぼんやりと飛竜の顔を見ていると、部屋にノックの音が響いた。
ノックとほぼ同時に部屋に入ってきたのは、シャクスとライールだった。ライールの方はうなだれ、力ない様子である。シャクスのは飛竜の方を向くと、まるで信じられないものを見るような表情をした。
「蒼竜……?」
「違うよ、シャクス兄さん。僕は飛竜だよ」
 ゆうるりと飛竜は首を横に振った。シャクスはユキと同じように今の飛竜に蒼竜の面影を重ねたらしい。少し疲れたように飛竜はシャクスに向かって微笑んだ。
「あ、っと……いやそうだ。そりゃそうだ……悪い……飛竜、お前、やっと」
「うん、ユキとトモと話してたらね、少しずつ霞がかった頭がハッキリしてきたよ。今まで、何かを考えようとしても、何かを言おうと思っても、霧を掴むような、そんな心地がしてたのだけれど、悪い悪夢から醒めたみたい……蒼竜が死んだことはどう足掻いたって覆せやしないのだから、悪夢はこっちの方かもしれないけれど」
どこか遠くを見るような表情をしてスラスラと淀みなく話す飛竜に、ユキは違和感を拭えなかった。シャクスは、一歩、二歩と飛竜に歩み寄り、そして飛竜を抱きしめる。 飛竜を掻き抱くその肩は震え、押し殺した嗚咽も聞こえた。飛竜も、始めのうちは戸惑ったようにシャクスの背中に腕を回すだけだったが、そのうちに瞳が涙で潤み始め、まるで若葉に朝露が滴るように飛竜の頬を涙が伝った。
しかし、ライールは先程までの勢いが幻であったかのようにただ、静かに佇んでいた。それでも、視線は飛竜とシャクスの方を向いて離れることはない。ユキはそのライールの表情に絶望を見た。ライールが知っているのは常に茫然自失の状態にあった飛竜だけだということを、飛竜の記憶を辿ったユキは知っている。声をかけようとユキは一瞬思ったが、止めた。ライールにとっての飛竜を奪ったのは、ほかならないユキだという事を自覚していたからだ。
「おい、一体この状況はどういうことだ」
この中で一人、全く状況が掴めていないトモがユキに尋ねる。
「いきなり飛竜はペラペラ喋るようになるし、シャクスはいきなり飛竜を抱きしめるし、ライールは不気味なくらい黙り込んでるしよ……ユキ、お前本当に飛竜の記憶を覗いただけなんだよな?」
 ユキを見るトモの目は鋭い。
「……そうだよ」
答えるユキの声は震えていた。先程から少しずつ、トモの中でユキに対する不信感が募っているだろうと、ユキは思っていたが、やはり、それは事実だったのだろうと確信してしまう。
「そうか」
そんなユキを一瞥して、トモはまた、シャクスと飛竜の方を向いた。
そうしてしばらく、飛竜とシャクスは抱き合っていた。先に、気持ちを落ち着かせたのは飛竜の方だった。とんとん、とシャクスの肩を叩いて飛竜はシャクスを今に引き戻す。
「すまない……まさか、飛竜がこうしてまたはっきりと自分の意志を伝えられるようになるなんて……」
シャクスは冷静になって向き直ったつもりだったのだろうが、話半ばでまた涙で声を詰まらせた。手のひらでぐいと涙を拭い、シャクスはユキとトモの方に向き直りなんとか話を続けた。
「飛竜には蒼竜という双子の弟が居たんだが……事故で死んだんだ。それが随分と飛竜の心理的負担になったらしい。飛竜はもう随分の間、精神的に幼くなっていた」
その話に、飛竜は少し驚いた顔をした。
「そうだったんだね……実は、蒼竜が死んでからのことはあんまりよく覚えてないんだ。景色も、人の声も、僕の中を通り過ぎていくだけで。けれど、覚えてることもあるよ。ライールさんは本当に僕に良くしてくれた」
飛竜がまるで他人のようにライールを呼んだ瞬間にとうとうライールは膝から崩れ落ちて泣き出した。
「もう嫌……もう嫌! なんでよ、なんでアタシの大事な人は居なくなっていくの?」
その後も、なんで、なんでと繰り返しながらライールは嗚咽を上げ続けた。困惑した面持ちで飛竜がライールに手を伸ばしたが、ライールはそれも跳ね除ける。
「あんたなんか、飛竜じゃない!」
「ライール!」
思わず出たのであろうライールの言葉を、シャクスは強い口調で咎めた。しかし、ライールはそれに臆することなく、つり上がり気味の目をさらに鋭くさせてシャクスを睨みつける。 シャクスが、ライールに何かを言おうと口を開きかけるより早く、今まで事態を静観していただけのトモが言葉を投げた。
「あのさぁ……オレ、今、何が起こってんのか全然わかんねぇんだけどよ。そもそも、結局お前らはなんなんだよ」
「何って……」
「飛竜はひとまずユキに着いていきたい。ユキは飛竜が望むのであれば飛竜を連れていきたい。お前、えーっとライールだっけ? ライールは飛竜と別れたくないし、ユキに着いていく気もない。で、お前は?」
 飛竜から順番にトモは指をさしていき、最後にシャクスを指差した。
「俺か?」
「今この場で、どうしたいか何も言ってねえのはてめぇだけだろうが」
 少し驚いたように返答するシャクスにトモは少し苛立った様子で告げる。
「あぁ、でもそれはオレもか? オレはさ、ユキと楽しく旅がしたいって思ってんだよ。たとえ、ユキの旅が楽しいものじゃなかったとしても。せめて、オレが一緒にいられる間だけでも。オレはユキと楽しく旅がしたい。だから、オレはそれを叶えるために行動するんだ。でもこのままじゃそれもどうやら難しくなりそうだからもしお前が何も言わないんだったらオレはユキを連れてもうこの町を出ようと考えてるんだけどよ」
「そうか……」
「いや、そうかじゃなくてな、お前も飛竜と居たいってんならこのままこの町を出てくけど、お前さ、そうは思ってねぇんだろ?」
 トモの言葉に飛竜とライールがシャクスの方へ視線を向けた。シャクスは下を向き、何か考え込んでいるようだった。ユキだけが、トモの真剣な表情から目を離せないでいた。何より、ユキはまだトモが自分と旅をしたいと思ってくれていることが、場違いな感情だと理性が告げていたとしても、嬉しかった。
「シャクス兄さん」
 意を決したように飛竜が口を開く。
「聞かせて。蒼竜がいなくなってからのこと、全部。僕はあんまり覚えてないから……実はここがどこなのかもよくわかってないんだ。それから聞かせてよ。兄さんはどうしたいのか」
 それから、飛竜は先ほど跳ね除けられた手を、もう一度ライールの方へ伸ばした。ライールも今度はそれを跳ね除けるようなことはしなかった。そして、ライールの手を飛竜はしっかりと握って申し訳なさそうに告げる。
「ごめんなさい、僕はあなたの家族になってあげることはできそうにないんだ」