第二章 飛竜

 ぐわん、と頭が揺れる。無理やり意識を引き剥がされる感覚にユキは吐き気をこらえた。ユキが飛竜の記憶の中で会った蒼竜は飛竜が創り出したモノではなく、全く異質の、それこそ、蒼竜そのものであるという確信だけは手に入れた。しかし何故、蒼竜が飛竜の記憶の中に彼そのものとして存在していたのか、結局飛竜はどこから来て、何故クェルツェルとの邂逅を求めるのかは結局分からないままだったことが、どうにもユキは納得できない。誰かの記憶の中にもぐりこむというルールすれすれの高度な魔術を使用してまでも暴けない秘密に、何か自分にとって大切なものが隠されている気すらするのだ。
「ユキ?」
 ぼうっとそのまま飛竜の瞳を覗き続けていたユキにトモが声をかける。飛竜は、彼自身に負担のないように気を使ったこともあり、やはり先ほどと同じようにユキを見ていたが、ふいにハッとした表情を見せた。ぼんやりと、どこか遠くを見るようだった瞳に知性が宿り、おそらくではあるものの、ユキよりも何年か長く生きているであろうその年齢相応の青年らしい活力が表情に表れる。それは、ユキが飛竜の記憶の中で見た飛竜の姿そのものだった。
「蒼竜……蒼竜が、いた……」
 茫然自失といった様子で、しかし、先ほどまでとは違ってはっきりと目的を持った言葉が飛竜から発せられる。
「僕の記憶の中に……? どうして……っ」
 そして言葉を切ると同時に飛竜は頭痛に襲われたのか、頭を抱えたまま体を一度びくりと痙攣させ、また元のぼんやりとした雰囲気へと戻った。
 しかし、ユキもトモもその様子を見ていた。二人は顔をゆっくりと見合わせ、もう一度飛竜へと向き直る。しかし、飛竜は霞がかった様なぼんやりとした瞳で不思議そうに二人を見返すのみで、先ほどの美しい青年はそこにはいなかった。
「ユキ、お前飛竜にいったい何をしたんだ?」
 怪訝そうな表情を隠そうともせず、トモはユキに尋ねた。
「僕は、飛竜の記憶の中にちょっとお邪魔しただけだよ。さっきのは……僕のせいじゃない」
 トモはそのまま、ユキへと怪訝な表情を暫く向けたままだったが、ため息をひとつつくと、軽く頭を振った。
「王政が魔術師を弾圧してる理由が少し分かる気がする……で、何が分かったんだ?」
 トモの言葉に、ユキは何か細く冷たい針のようなものを心に刺された心地がした。もうだいぶ人間離れしてしまったこの身を見て、軽く笑って受け入れてくれた人だとしても、いざ、その異形の力を目の当たりにすれば、やはり受け入れがたいものがあるのだろうと、理屈では理解できてもユキの心の痛みを消せるわけではない。
「そうだね、飛竜はここよりもずっと、文明が進んだ場所から来たみたいだ」
「というと?」
「見たことのない武器や、リシギアでは使われていない素材でできた床や壁、複雑な理論を用いなければ作ることのできない道具……そんなものが飛竜の記憶の中にあったよ。ただ、どうして飛竜がここに来てクェルツェルに会いたがってるのかは分からなかった」
「記憶の中に入ったかいがあったんだか無かったんだかわかんねぇな」
 飛竜が腰掛けているのとは別のベッドに腰掛けながらトモが素っ気ない様子で言う。木の軋む音が部屋に響いた。
「で、蒼竜ってのは?」
 緋色の瞳がじっとユキを視線で貫くように見据えていた。ユキは、声が震えそうになるのをぐっと堪えなければならなかった。旅路を共にし、信頼している人間の、勘ぐるような視線はまだ成熟しきっていないユキの精神には辛いものがある。
「蒼竜っていうのは、飛竜の双子の弟だよ。何かの施設の中で、二人は軟禁されてたように見えた。そこにはシャクスもいたよ。三人は同じ場所で育ったように見えた」 「なるほどな。で。その蒼竜ってのは今どこにいるんだ?」
 トモの問いかけに答えようとユキが口を開く前に、別の声がその問いに答えた。
「死んだよ」
 その声に、ユキとトモは弾かれたように飛竜の方を見る。
「僕を庇って死んだ」
 トモの問いかけに答えたのは飛竜だった。俯き、透き通るような空色の髪の毛に阻まれてその表情は見えないが、声に感情はなく、飛竜は淡々と告げた。
「蒼竜は、僕をどこかに連れて行きたがってた。僕は、それがどうしてか、どこに連れて行きたかったのかまったく分からなかったのだけれど、巨大な樹からここへ来て、砂ばかりの景色を見たらね、少しだけ思い出せそうな気がしたんだよ。あぁ、ユキ。君は僕の記憶の中になにを見たの? さっきから、頭が痛い。深い眠りについていたのにいきなり起こされたときみたい」
「巨大な樹?」
「そう、とても大きな樹。人や、鳥や、魚や……様々な動物たちの一部が突然姿を変え、暴走を始めた日、僕らの世界に突然現れた大きな樹。僕たちはその樹へライールさんのお姉さんを探しに行ったはずなのに、気がついたらこの砂漠に立っていた」
 相変わらず、飛竜の表情はユキとトモには見る事ができない。突然流暢に話し始めた飛竜に、トモが何かを言うよりも早く、ユキは飛竜の巨大な樹という言葉に反応していた。言語処理が上手く行っていなかった飛竜がいきなり流暢に言葉を操りだした驚きよりも、ユキはその巨大な樹という言葉が気になって仕方が無かった。深い森の中、雄大にたたずむその巨大な樹の根元にクェルツェルが見えるのは、一体いつの記憶なのか。ユキの脳裏にははっきりとその景色が思い浮かぶのに、いつ、どこでその景色を見たのかがユキは一向に思い出せなかった。
「おい待てよ。人や鳥や魚が突然姿を変えたって……どういうことだ? そんな話オレは聞いたことが無い」
「僕の故郷……僕の故郷? あれ、そうだっけ。あそこが僕の故郷だっけ?」
 トモの問いかけに、しかし飛竜はまた要領の得ない返答を返す。ゆっくりと、飛竜の頭が持ち上げられ、ユキとトモはようやくその顔をみる事ができた。顔をしかめ、ユキとトモを見るその顔は飛竜の記憶の中で見た蒼竜そっくりだとユキは思った。