第二章 飛竜
煙と血の匂いに腹の底から吐き気がこみ上げてくるのをユキは感じていた。蒼竜が飛竜の手を引いたままライールを出口へと誘導する。鮮やかな剣捌きで白い羽織を着た人々を切り捨てながらライールは突き進んでゆく。
「あと少し! その扉の先が出口だ!」
「了解!」
蒼竜の声が響くと同時に、煙の向こうに重厚な存在感を持った扉が微かに見えはじめた。行く手を阻むものを全て黙らせ、ライールが扉に手をかける。が、押せども引けども、扉が開く気配がない。
「なんで!」
「当たり前だ。外へと通じる扉をセキュリティ無しで開けることが出来るとでも思ったか?」
ヒステリックに叫ぶライールに後ろから呆れたように声をかけたのは、やはりユキの記憶にある姿とほとんど変わりないシャクスだった。
「……ここまで誘導したのは蒼竜か」
煙とうめき声と血の臭いが充満する中でシャクスは冷静に蒼竜と飛竜の二人を眺めていた。ライールは、新手の出現に剣を構えたが蒼竜がそれを止めた。
「シャク兄に手を挙げるのはやめてくれ!」
「はぁ? 悪いけど、行く手を阻むんだったらアンタの知り合いだろうがなんだろうが……アタシは知ったこっちゃ無いわよ」
殺気を放ったままのライールを、シャクスは無視するように、泣きじゃくる飛竜を背にかばう蒼竜の方へと歩みを進めていった。
「なあ、蒼竜。外へ出たいか?」
「……シャク兄には悪いけど、オレは、飛竜をあるべき場所に連れて行かなきゃいけないんだ」
「そうか……外は、ここなんかよりももっと酷い……生きづらい場所だぞ? ここだったら、自由は無いが死ぬ心配も無い」
「生きるとか、死ぬとか、そういう話じゃないんだよ。飛竜はここに居ちゃ行けないんだ。飛竜だけでも元のところに帰さないと……!」
「ねえ、蒼竜、何を、何を言ってるの? ねえ! シャクス兄さん蒼竜がおかしいんだ。僕はここで生まれてここで生きるんでしょ? そう先生が言ってたよ。ねえ、シャクス兄さんからも蒼竜になんとか言ってよ!!」
シャクスは一つため息をつくと、ライールの方へと向き直った。飛竜はシャクスも話を聞いてくれないと分かると、いよいよ本格的に泣き出した。そんな飛竜を蒼竜が宥めようとするが、拒絶され、それでも、蒼竜は飛竜を守る姿勢を崩さない。
そしてユキは、蒼竜に話を聞けないのを歯がゆく思った。この場で一番ことの事情を理解しているのは恐らく蒼竜だ。飛竜がクェルツェルに会いたいと願う理由も蒼竜なら分かるはずなのだ。しかし、今ユキはこの場に居るわけではない。あくまで、飛竜の過去を飛竜の視点で覗き見ているだけなのだ。これは、もう終わったことなのだ。
「お前、名前は」
「……ライールよ」
「そうか。ライール、悪いが、この二人を、飛竜と蒼竜を宜しく頼む」
そう言うと、シャクスは扉の横にある装置を動かし、扉を開けた。
「親父や、研究員たちが迷惑かけたな、ライール。すまなかった。俺はもう、親父にはついていけない」
「なんかよく分からないけど、まあ良いわ。あの二人もどっかの街くらいまでは守ってあげるわよ。ただまあ、アタシもこんなだから人から石を投げられる羽目になっても知らないけど」
「それでも、誰も頼る奴がいないよりはよっぽどマシだろう。蒼竜、飛竜を頼む」
「シャク兄……ありがとう」
そうして、蒼竜が飛竜に歩くように促したが、飛竜はそれをも拒絶した。
「僕は! 僕は外になんてでなくていい! シャクス兄さんとここに居る! 蒼竜とその女の人だけで外に行けば良いじゃないか!」
「飛竜! お前は、お前は憶えてないかもしれないけれど、俺らが本当に居るべき場所はここじゃないだろう?! 早く、早く帰らねえと……」
必死に説得を試みる蒼竜だったが、飛竜はその手を振りほどきシャクスの方へと駆けていった。しかし、ユキが飛竜の方を向くと、飛竜の居る向こうに蒼竜が銃と呼んだ黒い金属質の筒のようなものを構えた男が立っていた。初老を迎えようかという男の髪は真っ白で、目は充血し、焦点は定まっておらず、明らかに正気ではない。
「親父……」
シャクスが感情の籠っていない空虚な声で呟くよりも早く、蒼竜は飛竜の方へ駆けていきそのまま体当たりをした。
ぱん。
恐ろしく響く破裂音と同時に蒼竜の体が倒れる。
「は、はははは……私の、私の研究がめちゃくちゃだ。ようやく、ようやく後一歩のところで蒼竜と、飛竜と、シャクスと……妻の家族五人で過ごせると思ったのに……思ったのに! おまえの……おまえのせいで台無しだ! 俺は心中しなければならなくなった! もうソレしか妻に会う方法が無くなってしまった! 我が子に手をかけるしか無くなってしまった! あっははははははははは! 人殺し!! この人殺しめえ!!」
狂ったように笑い続ける男を、シャクスとライールは呆然と眺めていたが、飛竜の悲鳴で我に返った。蒼竜、蒼竜と半狂乱で叫び続ける飛竜にシャクスは駆け寄り、ライールはもう一度銃を構え直した男へと剣を構えて突っ込んでいった。鮮やかに剣が舞い、銃を持った男の手が宙に舞う。男がその事実を理解し叫ぶよりも早く、ライールはそのまま男の命を奪った。ライールがゆっくりと振り返り、シャクスと視線を合わせるのをユキは見た。ライールも、シャクスもなんの感情もこもっていない冷たい瞳をしているのが、怖かった。そしてシャクスは一度目を閉じ、今度は飛竜の方へ向き直った。
「心臓を打ち抜かれてる……蒼竜は、もう、死んでいる」
その言葉を最後に、ぐにゃりと視界は歪み、聴覚はノイズまみれの音しか拾わなくなった。ただ、所々、ライールとシャクスと一緒に様々な場所へ行ったことだけが伝わってくる。恐らく、蒼竜の死は飛竜にとって受け入れ難いことだったのだろう。そのせいで、飛竜の心は半ば壊れてしまったに違いない。今までの映像は、飛竜が見せられる限界だったのだろう。ユキは飛竜の悲しみを想ってそっと涙をこぼした。そして、巨大な樹木が眼前に迫ったところで不意に暗闇へと投げ出された。もう、飛竜もシャクスもライールもそこには居ない。記憶の中、と言うより、記憶の隙間のような場所だとユキは思った。
「飛竜の心を覗いて、おまえは何をしているんだ」
ユキが視線をあげると、そこには蒼竜が居た。
「は……なんで……」
「なんではこっちの台詞だっつーの。他人の心を何覗いてんだ」
不機嫌そうにこちらを見る蒼竜は、確かに飛竜の記憶の中で死んでいたはずだ。いや、仮に生きていたとしても、飛竜の記憶の中で侵入者であるユキに干渉することなど出来るはずがないのだ。本人ですら、記憶の中で自分自身そのものとして侵入者に干渉することは難しいと言うのに、他人が、他人の記憶の中で自由に行動することはまず不可能であるはずだった。
「君、は、蒼竜だったよね? なんで飛竜の記憶の中で僕に話しかけることが出来るの?」
「そりゃおまえ……俺は記憶だからだ」
「どういうこと? 君は、君の存在は飛竜がクェルツェルに会おうとすることと何か関係があるの?」
「俺は別に関係ねえよ。クェルツェルに会わなきゃなんねーのは、そうだな、まあそうしなきゃだよなあ」
「ちょっとまって、意味が分からない」
顔をしかめ、さらに詰め寄ろうとするユキに蒼竜は軽く笑った。自嘲的な笑いだった。そうしてだんだんユキは飛竜の記憶の世界が消えていくのを感じた。恐らく蒼竜によって追い出されようとしているのだろう。
「そうか、おまえは……」
僕が何だと言うんだ、という問いは恐らく蒼竜に届かないままユキは飛竜の記憶から追い出された。
「あと少し! その扉の先が出口だ!」
「了解!」
蒼竜の声が響くと同時に、煙の向こうに重厚な存在感を持った扉が微かに見えはじめた。行く手を阻むものを全て黙らせ、ライールが扉に手をかける。が、押せども引けども、扉が開く気配がない。
「なんで!」
「当たり前だ。外へと通じる扉をセキュリティ無しで開けることが出来るとでも思ったか?」
ヒステリックに叫ぶライールに後ろから呆れたように声をかけたのは、やはりユキの記憶にある姿とほとんど変わりないシャクスだった。
「……ここまで誘導したのは蒼竜か」
煙とうめき声と血の臭いが充満する中でシャクスは冷静に蒼竜と飛竜の二人を眺めていた。ライールは、新手の出現に剣を構えたが蒼竜がそれを止めた。
「シャク兄に手を挙げるのはやめてくれ!」
「はぁ? 悪いけど、行く手を阻むんだったらアンタの知り合いだろうがなんだろうが……アタシは知ったこっちゃ無いわよ」
殺気を放ったままのライールを、シャクスは無視するように、泣きじゃくる飛竜を背にかばう蒼竜の方へと歩みを進めていった。
「なあ、蒼竜。外へ出たいか?」
「……シャク兄には悪いけど、オレは、飛竜をあるべき場所に連れて行かなきゃいけないんだ」
「そうか……外は、ここなんかよりももっと酷い……生きづらい場所だぞ? ここだったら、自由は無いが死ぬ心配も無い」
「生きるとか、死ぬとか、そういう話じゃないんだよ。飛竜はここに居ちゃ行けないんだ。飛竜だけでも元のところに帰さないと……!」
「ねえ、蒼竜、何を、何を言ってるの? ねえ! シャクス兄さん蒼竜がおかしいんだ。僕はここで生まれてここで生きるんでしょ? そう先生が言ってたよ。ねえ、シャクス兄さんからも蒼竜になんとか言ってよ!!」
シャクスは一つため息をつくと、ライールの方へと向き直った。飛竜はシャクスも話を聞いてくれないと分かると、いよいよ本格的に泣き出した。そんな飛竜を蒼竜が宥めようとするが、拒絶され、それでも、蒼竜は飛竜を守る姿勢を崩さない。
そしてユキは、蒼竜に話を聞けないのを歯がゆく思った。この場で一番ことの事情を理解しているのは恐らく蒼竜だ。飛竜がクェルツェルに会いたいと願う理由も蒼竜なら分かるはずなのだ。しかし、今ユキはこの場に居るわけではない。あくまで、飛竜の過去を飛竜の視点で覗き見ているだけなのだ。これは、もう終わったことなのだ。
「お前、名前は」
「……ライールよ」
「そうか。ライール、悪いが、この二人を、飛竜と蒼竜を宜しく頼む」
そう言うと、シャクスは扉の横にある装置を動かし、扉を開けた。
「親父や、研究員たちが迷惑かけたな、ライール。すまなかった。俺はもう、親父にはついていけない」
「なんかよく分からないけど、まあ良いわ。あの二人もどっかの街くらいまでは守ってあげるわよ。ただまあ、アタシもこんなだから人から石を投げられる羽目になっても知らないけど」
「それでも、誰も頼る奴がいないよりはよっぽどマシだろう。蒼竜、飛竜を頼む」
「シャク兄……ありがとう」
そうして、蒼竜が飛竜に歩くように促したが、飛竜はそれをも拒絶した。
「僕は! 僕は外になんてでなくていい! シャクス兄さんとここに居る! 蒼竜とその女の人だけで外に行けば良いじゃないか!」
「飛竜! お前は、お前は憶えてないかもしれないけれど、俺らが本当に居るべき場所はここじゃないだろう?! 早く、早く帰らねえと……」
必死に説得を試みる蒼竜だったが、飛竜はその手を振りほどきシャクスの方へと駆けていった。しかし、ユキが飛竜の方を向くと、飛竜の居る向こうに蒼竜が銃と呼んだ黒い金属質の筒のようなものを構えた男が立っていた。初老を迎えようかという男の髪は真っ白で、目は充血し、焦点は定まっておらず、明らかに正気ではない。
「親父……」
シャクスが感情の籠っていない空虚な声で呟くよりも早く、蒼竜は飛竜の方へ駆けていきそのまま体当たりをした。
ぱん。
恐ろしく響く破裂音と同時に蒼竜の体が倒れる。
「は、はははは……私の、私の研究がめちゃくちゃだ。ようやく、ようやく後一歩のところで蒼竜と、飛竜と、シャクスと……妻の家族五人で過ごせると思ったのに……思ったのに! おまえの……おまえのせいで台無しだ! 俺は心中しなければならなくなった! もうソレしか妻に会う方法が無くなってしまった! 我が子に手をかけるしか無くなってしまった! あっははははははははは! 人殺し!! この人殺しめえ!!」
狂ったように笑い続ける男を、シャクスとライールは呆然と眺めていたが、飛竜の悲鳴で我に返った。蒼竜、蒼竜と半狂乱で叫び続ける飛竜にシャクスは駆け寄り、ライールはもう一度銃を構え直した男へと剣を構えて突っ込んでいった。鮮やかに剣が舞い、銃を持った男の手が宙に舞う。男がその事実を理解し叫ぶよりも早く、ライールはそのまま男の命を奪った。ライールがゆっくりと振り返り、シャクスと視線を合わせるのをユキは見た。ライールも、シャクスもなんの感情もこもっていない冷たい瞳をしているのが、怖かった。そしてシャクスは一度目を閉じ、今度は飛竜の方へ向き直った。
「心臓を打ち抜かれてる……蒼竜は、もう、死んでいる」
その言葉を最後に、ぐにゃりと視界は歪み、聴覚はノイズまみれの音しか拾わなくなった。ただ、所々、ライールとシャクスと一緒に様々な場所へ行ったことだけが伝わってくる。恐らく、蒼竜の死は飛竜にとって受け入れ難いことだったのだろう。そのせいで、飛竜の心は半ば壊れてしまったに違いない。今までの映像は、飛竜が見せられる限界だったのだろう。ユキは飛竜の悲しみを想ってそっと涙をこぼした。そして、巨大な樹木が眼前に迫ったところで不意に暗闇へと投げ出された。もう、飛竜もシャクスもライールもそこには居ない。記憶の中、と言うより、記憶の隙間のような場所だとユキは思った。
「飛竜の心を覗いて、おまえは何をしているんだ」
ユキが視線をあげると、そこには蒼竜が居た。
「は……なんで……」
「なんではこっちの台詞だっつーの。他人の心を何覗いてんだ」
不機嫌そうにこちらを見る蒼竜は、確かに飛竜の記憶の中で死んでいたはずだ。いや、仮に生きていたとしても、飛竜の記憶の中で侵入者であるユキに干渉することなど出来るはずがないのだ。本人ですら、記憶の中で自分自身そのものとして侵入者に干渉することは難しいと言うのに、他人が、他人の記憶の中で自由に行動することはまず不可能であるはずだった。
「君、は、蒼竜だったよね? なんで飛竜の記憶の中で僕に話しかけることが出来るの?」
「そりゃおまえ……俺は記憶だからだ」
「どういうこと? 君は、君の存在は飛竜がクェルツェルに会おうとすることと何か関係があるの?」
「俺は別に関係ねえよ。クェルツェルに会わなきゃなんねーのは、そうだな、まあそうしなきゃだよなあ」
「ちょっとまって、意味が分からない」
顔をしかめ、さらに詰め寄ろうとするユキに蒼竜は軽く笑った。自嘲的な笑いだった。そうしてだんだんユキは飛竜の記憶の世界が消えていくのを感じた。恐らく蒼竜によって追い出されようとしているのだろう。
「そうか、おまえは……」
僕が何だと言うんだ、という問いは恐らく蒼竜に届かないままユキは飛竜の記憶から追い出された。