第二章 飛竜

 ふいに、金属の扉が開けられ、部屋の中に特徴的な橙色の髪の青年が入ってきた。
「シャク兄!」
 蒼竜が嬉しそうな声を上げる。先程の会話とその姿から過去のシャクスであろう。シャクスは二人の食事らしきものをお盆に乗せて持っていた。まだ幼さの影が消えないシャクスは白く長い服を羽織っている。
(シャクスがここにいるって事はここにライールも居るのかな)
 シャクスがお盆を棚の上に置いたことを確認して、蒼竜と飛竜の二人はシャクスの方へと駆けていった。
「シャク兄、シャク兄、今日は何して遊ぶ?! 飛竜と相談して決めておこうと思ったんだけど、決められなかったんだよ」
「おーまあそう急くな。親父からちゃんとたっぷり時間貰ってっから。な、まずはご飯食べろ」
(誰かから時間を貰ってここに来てるって事は、飛竜と蒼竜はここに監禁されてる? いやでも飛竜にも蒼竜にも悲壮感はないし、ここが二人の家なのだとして、シャクスとの関係は?)
 ユキの考えがまとまらない内に、景色が歪み、変わる。やはり、同じような無機質な部屋ではあるのだが、見たことのない、使用方法もユキにはわからない道具がごちゃごちゃと置いてある。先程のシャクスと同じような白く長い服を羽織った大人たちが数人、そして、部屋の真ん中あたりに置かれた椅子に飛竜と蒼竜がちょこんと座っていた。
 大人の一人が何か筒上のものを飛竜の腕に当てている。
(なにあれ……血、を採ってるの……?)
 カリカリと大人たちが紙に何かを書き込む音とごうごうと鳴る何かの音だけが聞こえている。二人は先程の楽しげな光景とは違って無表情で淡々と大人たちの指示に従っている。何をしているのかは残念ながらユキには見当もつかなかった。ただ、リシギアよりもずっと進んだ技術を持った場所だということは理解した。
 そしてまた景色が歪み、次に見たのはもくもくと上がる煙だった。誰かの悲鳴も聞こえる。
「飛竜! こっちだ!」
 声のする方を振り向けば、蒼竜が飛竜の手を取り走っていた。
「チャンスだ……やっときたチャンスなんだ、やっと、やっと、帰れる」
「蒼竜?! 何を言っているの?! 部屋に戻ろう?! シャクス兄さんだって心配するよ!」
 二人は先程までの回想とは変わって、だいぶ成長していた。もうユキの見知った飛竜とほとんど変わりがない。しかし、飛竜の表情はユキの知っているどこかぼんやりとしたものではなく、聡明さが感じられる知的なものだった。幼い姿だった頃とほぼ変わらない服装にユキは違和感を憶えた。蒼竜の言葉だけを受け取れば、やはり二人はどこかに監禁されているようだったが、飛竜の言葉は家出をする兄弟を咎めるようなものだ。ユキがどういう事かと考えるよりも早く蒼竜の悲鳴があがった。
「うわっ!」
「なによあんたたち、まだ子供じゃない。こんな子供にアタシが捕まるとでも思ったの?」
 蒼竜の目の前には、両手に剣を握ったライールがいた。敵意を蒼竜と飛竜に向けているその姿からは、現在の過保護な愛を向けるライールを連想する事は難しい。飛竜と蒼竜と同じ服を着たライールの全身は煤と埃で汚れており、さらにはおそらく返り血であろう血で真っ赤に染まっている。
「ひっ!」
 飛竜がそんなライールの姿を見て小さく悲鳴を上げる。対照的に蒼竜はまっすぐにライールを見据えていた。
「この騒ぎはアンタの仕業だな?」
「だったら何よ?」
「……礼を言う。おかげで俺たちはここを逃げ出せそうだ」
「あら、あんたたちも捕まってたクチなの? ……いったいここは何をしてるところなのよ」
 短い問答だったが、おかげでユキは大体の事情を把握する事が出来た。ここは何かの施設で、飛竜、蒼竜、ライールは何らかの理由でここに監禁ないし軟禁されていたが、ライールはおそらく手荒な方法で騒ぎを起こし脱走を試みた。蒼竜はそれに便乗して脱走を試みている。しかし、飛竜は自分が監禁ないし軟禁されているという事を自覚していない。おそらくこんな所だろう。
「蒼竜?! さっきから何を言っているの?! ねえ、戻ろう? 戻ろうよ……」
 灰緑色のユキの知り得ない素材で囲まれた無機質な廊下に立ち上る煙、飛竜の懇願する声、大勢が駆けつける物音……。ちょっとした地獄絵図だとユキは感じた。
「あんたたちも脱走するつもりなら、いいわ連れて行ってあげる。ま、ちょっと血まみれになっちゃうけど、我慢してね」
「いたぞ! こっちだ!」
 白い上着を羽織った、大勢の大人が手に金属質の何かを持って駆けつける。ライールはそれを確認すると、タンッタンッと軽く跳躍を繰り返して、その群衆の中に突っ込んでいった。
「撃てえ! 亜人の女は殺してもかまわん! だが、あの兄弟には当てるなよ!」
 彼らは、手に持った金属質のそれらを構えると、こちらに向けた。
「銃まで持ち出してきてんのかよ?!」
 飛竜をかばうようにしてライールが突っ込んでいった方を見た蒼竜が驚きの声を上げた。飛竜は既に泣き叫んでいる。パン、パン、と凄い勢いで何かがぶつかったような音が響くとライールの腕や足から血が噴き出す。
 オーバーテクノロジーだと、ユキは直感した。
 クェルツェルと契約を結んだ、時間と空間が曖昧なあの世界で、ユキは様々な世界の知識を眺めていた。その中には、この世界にはまだ存在し得ない未来の技術についての知識も含まれていたように思う。その時の記憶は曖昧で確かな事は思い出せないが、この施設の技術はまだこの世界に存在してはいけないもののように感じた。
 それでも、ライールはそれに臆する事無く、その群衆の手を鮮やかな手つきで切り落としていった。煙に混じって血なまぐさい匂いが廊下に溢れる。それから、何かがこげたような匂いも。これは、飛竜の回想の世界だ。蒼竜に手を引かれながら咽び泣く飛竜のその、血なまぐささへの嫌悪感がユキにはありありと感じ取れた。