第二章 飛竜

 依存。その言葉はユキの胸に重くのしかかる。ライールの飛竜に対する態度は少々度が過ぎているのは誰の目にも明らかだった。しかし、ユキは思う。自分はどうだろうか。誰の目から見ても異形の自分は。魔術師に偏見の無いだけの、街から出たことのないただの好奇心旺盛な少女を、自分が寂しいからと連れ出した自分は。ライールの飛竜ヘの態度を非難できる立場にあるのだろうか。そうして、苦しくなった胸をトモに打ち明けて自分の胸を軽くするのだろうか。そう考えたらあまりに自分がどうしようもなく卑怯な存在に思えてユキは恐くなった。
 ライールはどんな目で飛竜を、シャクスを、トモをユキを見ていたというのだろう。ユキはライールが出て行ったドアを眺めながらぼんやり思った。
「……で、飛竜、シャクスとライールが居なくなったんだ。そろそろちゃんとオレらに着いてきたいという理由を話せ」
 トモの緊張感のある声でユキの意識はすぐにトモと飛竜の二人に引き戻された。緋色と蒼色の対比が綺麗な光景だとユキは思う。しかし、ユキが言えた事ではないのだが、旅に出てから本当に妙な人とばかり出会う。そんなことを美しい緋色と蒼色を見てユキは感じる。黒髪に黒い瞳が一般的なリシギアでこんなにも美しい人が居るだなんて、村にいた頃は思いもしなかったのだ。ただ、それだけに慎重にいかなければならない。非魔術師である証の指輪を持ち、実際魔術師ではないトモはともかく、素性の知れない飛竜を連れて行くとなると旅のリスクは格段に高くなる。それでも、何故か飛竜を連れて行かないという選択肢はユキの中には無い。ただ、飛竜を見ているとまるでお母さん、お母さんと泣き叫んでいる迷子の子供を見ているようなそんな気持ちになってくるのだ。その手を引いて導いてあげたくなる。そのために飛竜がクェルツェルに会う必要があるというのならば、ユキは出来る限りそれを叶えてあげようと俯く美しい少年を見て決意した。例えそれが、ライールやシャクスの世界から大切なものを奪う行為だったとしても、ユキはこの少年を放ってはおけなかった。
「そうだよ、教えて飛竜。君のことを」
 そう告げると、飛竜は困ったような表情を浮かべた。話したくないというよりは、言葉に迷っているようだった。
 そんな飛竜の額にユキは手を添えて、翡翠のように澄んだ輝きを湛える瞳をまっすぐに覗く。もうユキに迷いはないと言えば、嘘になる。もしかしたら、飛竜に協力することで、自分がライールのように誰かに依存することはないと自分に示したいのかもしれないとも思う。この胸の小さなもやを消してしまいたいのかもしれない。それでも、ライール、シャクス、飛竜の三人がこのままで幸せだとはユキは思えなかったし、旅のリスクが増えようとユキは飛竜の手を取りたかった。  そっと飛竜をベッドに座らせれば、ベッドが軋む音がする。
「大丈夫。言葉にならないのなら、僕が手伝ってあげる。話したいこと、君のことを思い浮かべて。それを僕が読み取ってあげる。深入りはしない。君が伝えたいことだけを」
 翡翠に浮かぶユキの顔は、自分でも意外なほど真剣だった。その奥の瞳孔を覗き、ユキは浮かび上がった回想に身を投じた。
「飛竜!」
 聞こえてきた声にユキはハッと辺りを見回す。景色は宿屋のそれではなく、無機質な部屋ヘと変わっていた。飛竜の回想の中の景色だとユキはその場の空気で理解し、魔術が成功したことにひとまず安堵した。しかし、石の質感とは少し違うさらりとした表面をした灰緑色の壁と、金属のパイプでできたベット、同じく金属でできた棚、それだけの質素な部屋にやはり金属でできた扉が重く閉ざしている。装飾もないあまりに無機質すぎる部屋にユキはこの場所がリシギアではないことを理解した。リシギアではこのような空間を作ることは不可能だろう。ユキはこの石のような堅い壁が何で出来ているのか分からないし、リシギアにここまでの金属の加工技術はユキの知る限りなかった。そもそもライールたちはリシギアの外から来たと言っていたこともあり、ユキはそこまで驚かなかったのだが、あまりに自分が目にしているものと違う景色に戸惑いは隠せない。
 飛竜の名を呼んだのは飛竜と同じ顔をした少年だ。しかし、その姿は今の飛竜よりもずっと幼く、飛竜よりも快活で強気な印象を受けた。ユキは一瞬彼が飛竜本人かと思ったのだが、彼が彼自身ではない誰かを飛竜と呼んでいることから彼はおそらくユキの知る飛竜ではないのだろう。
「もうすぐシャク兄が来る時間だぜ、なあなあ、なにして遊ぶか決めておこうぜ」
「蒼竜はほんとにシャクス兄さんの事が好きだね」
 飛竜と同じ顔の少年を蒼竜と呼んだのは今よりもずっと幼い飛竜だ。こちらは雰囲気もユキの知る飛竜にずっと近く、おそらくこちらが飛竜本人なのだろうとユキは思った。無機質すぎる部屋の中には飛竜と蒼竜しか居ない。それよりも、ユキは飛竜が普通に言葉を発していることに驚いた。しかし、あくまでこれは飛竜の回想の世界であり、本当に普通に言葉を発していたのかは不明である。
「ま、この研究所の中じゃダントツだな! もちろん一番は飛竜だけど」
 そういって笑う蒼竜はほんとうに飛竜そっくりだ。ただ違うのは左右に分けられた前髪くらいだろう。飛竜は前髪をわける事無くそのまま額にかぶせている。それがまた、蒼竜の快活な印象と、飛竜の大人しげな印象を強くしていた。
 ニッと無邪気に笑う蒼竜に飛竜も微笑む。白いシャツを一枚だけ羽織った、そっくりな顔の少年が何をして遊ぼうかと話す様子は、無機質で閉ざされた部屋の中の光景でなければ、なんと微笑ましい光景だろう。