第二章 飛竜

「それで、最初の話に戻るよ。小さいけれど、僕でも世界のルールを歪めることができる。だから当然、僕に力を与えた契約主であるクェルツェルだったら、もうちょっと派手に歪められるんだ。それこそ、リシギアとは時間も空間も隔離された世界を創りだす程度には、ね」
「飛竜が何か願いがあるとすれば、そのくらいとんでもない願いなんだな?」
「そうだと僕は思うよ」
 話に納得したらしく、トモは何回か頷いていた。
 トモが、飛竜はともかくとして、ライールとシャクスの二人にあまり好い感情を抱いていないことは明白である。ユキも、飛竜のことはとても気にかかるし、ライールの飛竜に向ける愛情に心動かされもしたが、何者なのか分からないという疑念もあり、あまり関わりたくないと思い始めていた。しかし、それでも不確かな確信をユキは抱く。あの三人は、何かを知っている、と。何を知っているのか、それはユキにも分からない。ただ漠然と、自分の知らない何か、を知っていて自分はその何かを必要としている気がするのだ。
「あの様子じゃ、どうしてもクェルツェルとやらに会うつもりなんだろうな」
 ため息混じりに吐き出された言葉に、必死な飛竜の姿を思い出す。確実に、そのつもりだろう。あの不思議な少年が何を思ってクェルツェルに会うことを望むのか、結局、推測すら叶わなかったがあの目は本気の目だった。
「簡単なことじゃないと思うよ」
「そうだろうな、あぁそうだ。だから、多分、次はこうだ」
 声が自然と硬くなるのを感じながら言ったことにトモが眼光を鋭くさせて答える。
「クェルツェルに、会わせてくれ、だ」
 成程、と思わないでもないが、咄嗟に出た言葉は無理だよ、の一言だった。びあ 「確かにクェルは僕の契約主だけど、彼はすごく、なんと言うか、気まぐれと言うか、僕にはどこにいるのかも見当はつかないし、会いたいって思っても、彼にその気が無ければそれは叶わないんだよ」
「でもそんなことはあいつらには関係ないだろ」
「そう……だね。確かにそうだ」
 飛竜の願いに巻き込まれるのかと思うと、そこまでそのことに関して拒否感を感じない自分にユキは気づく。彼の願いを自分が叶えることができようができまいが、飛竜の存在は旅をするに当たって確実に障害となりえるはずのものなのにも関わらず、だ。トモをけしかけてしまったことに、罪悪感と後悔を感じているはずなのに、さらに飛竜まで加わったのなら自分がどうすればいいのか分からない。
 そう、ユキは分からないのだ。トモと旅に出て、初めての比較的大きな町で、飛竜と出会って、自分がこの世界に存在するということに慣れて、今まで目を背けていたことと、新しく押し寄せてきたことに飲まれてしまうのを感じる。そのことに、ユキはなんだか動揺してしまい、トモのことを伺うように見てしまった。
「なぁ、ユキ。お前はどうしたいんだ。どうするんだ」
 真っ直ぐに見つめ返す緋色の瞳にユキはビクリと身体が震えるのが分かった。何を以って正解なのかが分からない。否、正解を探す時点で何かが間違ってるとは思うのだが、絶対に、印象が悪くなるようなことは言いたくなかった。
 ユキは目をそらせない。トモは目をそらさない。真っ直ぐに、ユキに問いかけてくる。
「オレは、オレが旅に出たいと思ったから町を出た。帰りを待ってくれる存在に甘えた。そして、お前の旅に興味があったからお前と旅をすることを選んだ。なぁ、ユキ。こんなはずじゃ無かったって嘆く奴、オレ、嫌いなんだよ」
 ありえないのに、すべてを見透かされているような気になって、嫌いと言う言葉にまた身体が震えるのをユキは感じる。目をそらしたくても、きれいな緋色がそれを許してくれない。曖昧にユキは頷いてみる。どうすればいいというのだろう、それだけが頭にあった。
 そして、トモは続ける。
「でも、望まない結果を仕方ないと諦める奴も嫌いなんだ。だって、そうだろ。望んだ結果じゃなくとも、それはてめぇが選んだ結果だろ。よほど理不尽な出来事でもない限り、それはてめぇが選んだ結果であって、それに対して責任を持つべきだと思うんだ。それが、どんな結果だろうとな。……なぁユキ、お前は何を選ぶんだ。オレはお前について行くことを選んだ。今更それを否定する気はさらさら無い。ただ、オレの顔色伺って、迷子のような表情をしたってオレはなにもできねぇぞ。お前が選べ。選べないなら、話は聞いてやるから、迷ったなら言え。そしたらオレも選ぶから」
 最後の一言が思いのほか優しくて、言われた内容がなんだか青臭くて、心がむずむずとくすぐったさを訴えた。
「トモ……それすごく恥ずかしくない?」
「恥ずかしいこと言わせた自覚があるなら、もうそんな情けない姿さらすな」
 湧き上がる感情を誤魔化すようにようやく出した言葉も、ナチュラルに恥ずかしい台詞を言ってくれる人間には軽くかわされてしまうようで、呆れた表情でため息を吐かれてしまう。今度こそ、ユキは耐えられなかった。顔に熱が集まり、湧き上がる感情は言葉にならず行き場を失う。羞恥にも似たその感情は容赦なくユキを襲うが、不快ではなく、逆に心地よかった。単純と言うか、一貫性が無いと言うか、ユキは自分でも気持ちが変わるのが早すぎやしないかと思ったが、それでも、どうしようもない思考は止まった。不安がなくなったわけではない。そこまで楽観的には生きれないが、それでも確かに、ユキは安心したのだった。
「トモ、部屋に戻ろう」
 妙にすっきりとした気持ちでユキは言った。どうしたいかはっきりと決まったわけではないが、今ならちゃんと選べる気がした。
「戻って、どうするんだ」
「飛竜がどうしてクェルツェルに会いたいのか聞く。そして、これからどうしたいのかも聞く。場合によっては、飛竜に手を貸す」
 はっきり告げたユキに、了解と言ってトモが笑った。