第二章 飛竜
飛竜のその言葉に、ライールは暫く惚けた後、声も無く静かに泣き始める。飛竜はライールのその様子に困惑した。
「あの、ライールさん……?」
「アタシの名前をアンタが呼ばないでよ!」
飛竜の握る手を解くこともしなかったが、ライールから発せられたそれは、確かに拒絶だった。飛竜は、そんなライールの様子に少し傷ついた様子を見せ、ごめんなさいと小さく呟いてそっとライールのそばを離れた。
「いいわよ別に……シャクス、飛竜のこと話してあげてよ。その子に」
ライールのその子、という言葉は飛竜を指していた。力なくライールは笑って、続ける。
「その子は、飛竜じゃない……私の家族になってくれるって言った、飛竜じゃないもの……」
「俺からすれば、お前の言う飛竜はずっと、俺の知っている飛竜じゃなかったがな」
シャクスは、そんなライールに冷たく言い放つ。ユキは思わず、シャクスの言い様に文句を言いたくなったが、口を噤んだ。今、ユキは傍観者に過ぎない。これは、飛竜と、シャクスと、ライールの問題だとユキは理解していた。
「どこから話そうか……お前たちはどこまで知ってるんだ?」
シャクスが、ユキとトモに問いかける。
「僕は、ライールが飛竜と蒼竜のいたところから逃げ出そうとして、蒼竜って子が死ぬところまで」
「オレは何にも知らねぇぞ」
二人がそれぞれ答えたのにシャクスは頷いて応えた。
「それじゃあ、せっかくだ。最初から話させてくれ。飛竜と蒼竜は俺の血の繋がった兄弟だ。いや、もしかしたら本当は兄弟だった、という方が正確かもしれない。なんせ、俺の双子の弟は生まれた直後に母親もろとも死んでるからな」
「は……?」
思わず、ユキは疑問を声に出していた。トモも、顔をしかめ、疑いの目をシャクスに向けている。飛竜とライールは俯いたまま、静かにしていた。
「お前たちは、十五年前に起こった災厄を知っているか」
シャクスは、ユキとトモに問いかけたが、二人とも首を横に振った。十五年前、というとユキもトモもまだ生まれる前の話である。しかし、そんな話はユキは聞いたことがない。おそらく、それはトモも同じだったのだろう。シャクスはそんな二人の様子を見て、何かを納得したようだった。
「そうか……十五年前、俺たちの住むところに災厄が襲った。それは、進化の暴走と呼ばれるものだ。鳥や、獣がある日突然凶暴化し、体の組織を変化させ、人々に襲い掛かった。そしてそれは、ヒトも例外じゃなかったんだ。俺の母親は、腹のなかに俺の弟たちを孕んだまま、その狂気に飲まれた。その狂気のまま親父を襲い、親父は母を殺した。その時に、腹の中にいた弟たちも確かに死んだはずだった」
「ちょ……っとまってよ……進化の暴走? そんな話は、聞いたことがない……」
ユキが絞り出した声は、震えていた。鳥や獣やヒトがある日突然凶暴化するという不可解な現象であれば、ユキが生まれる前の話だったとしても、知らないのはおかしいのだ。
しかし、シャクスはユキの方を見て、冷静にこう答えた。
「ユキ、お前はもう俺たちがどこから来たか見当がついてるんじゃないのか。お前は、そこにいる赤いのよりもずっとこの世界に詳しそうだったからな」
「いや、でも、まさか……異世界から来ただなんてそんな話信じられるとでも?」
ユキは内心、シャクスたちが自分の仮説を笑い飛ばすことを期待していた。しかし同時に、そうでもなければ今までのこと全てに納得がいかないとも思っていた。そして、シャクスはユキの言葉を笑うことなく、頷いたのだった。
「俺も、確証は得ていない。けど、おそらくそう考えて間違いないだろうな」
飛竜も、ライールも、ユキとシャクスの立てた仮説に、反論しなかった。もっとも、飛竜は記憶が曖昧だということもあるのだろうが、その、翡翠色の澄んだ瞳で、シャクスを黙って見ている。その瞳は言葉よりも雄弁に、異世界から来たのだというシャクスの主張を肯定していた。ただ一人、トモだけがその主張に疑問を呈した。
「は? ユキもシャクスも何言ってんだ? 異世界ってどういうことだよ? 砂漠の外ってことか? でも、砂漠に外はないだろう?」
「ううん、違うよ、トモ。砂漠の外、というのはあながち間違いじゃないけれど、うぅんそうだな……なんて言えばいいのかな。こことは全く違う場所、とでも言えばいいのかな。外とか中っていう概念じゃ語れない、こことは全く別の世界から来たってこと」
「……まぁ、ユキがそう言うんなら、そういうことで納得しとくよ」
ユキが、トモに説明しようと試みたが、あまり伝わらなかったようだ。しかし、ユキはそんなトモの反応の方は普通の反応なのだと思った。異世界、だなどと突拍子のない発想ができる方が本当はおかしいとユキは思う。それは、クェルツェルと契約を結び、人ならざる姿へと変えた自身の経験が、ユキを普通から遠ざけているのだった。
不意に、ライールが声をあげて笑い出した。力ないまま、笑うその姿は亡霊のようで、ユキは不気味に思ってしまった。
「あは、アタシもね、その進化の暴走に巻き込まれた一人なのよ。わかるかしら? 自分の身体中の血が沸騰して、骨は砕かれ、内臓は破裂し、脳がぐちゃぐちゃにかき回されるような苦しみが。そしてね、あ、いまアタシ何か別のものに生まれ変わったなーって思ったら、お父さんもお母さんも狂ったように殺し合いを始めた地獄のような光景が目の前にあるの。辛うじて、正気を保ってたアタシを、同じように正気をたもてた姉さんだけが助けてくれたの」
「おい、ライール」
ヘラヘラと笑いながら話すライールを、シャクスが咎める。しかし、ライールはそれを気にすることなく言葉を続けた。
「そして、逃げ出したアタシたちを待ってたのは、たくさんの人たちからの迫害だもの。ほんと、なんでアタシ正気のまま生き残っちゃったんだろ……」
なんでかなぁ、と呟くライールに誰も何も言えなかった。トモですら、労わるような表情でライールを見つめている。シャクスが、咳払いを一つして、話を戻した。
「ライールみたいに、正気を保てたのは本当に一部のヒトだけだった。とにかく、俺たちの世界で起こったその災厄によって、俺の母と弟たちは死んだ。親父は、自分の手で妻と子供を殺した罪悪感から、その災厄の研究を始めた。なぜ、そんな現象が起こってしまったのか、沈静化はできないのか。その頃には多くの人が凶暴化した動物やヒトに殺されていたからな。賛同者は多く集まった。それからしばらくして、親父はあるモノを見つけてきた。それまでは、自分の妻や子供を殺した罪悪感に苛まれながらも、親父は正気だった。けれど、ソレを見つけてから、親父は……親父だけじゃない。親父に賛同して集まった研究者たちも少しずつおかしくなっていったんだ」
「正気を少しずつ失うって……何を、見つけたっていうの」
「親父が見つけたのは、美しい青い大きな翼の生えた爬虫類のような生物だった」
「あの、ライールさん……?」
「アタシの名前をアンタが呼ばないでよ!」
飛竜の握る手を解くこともしなかったが、ライールから発せられたそれは、確かに拒絶だった。飛竜は、そんなライールの様子に少し傷ついた様子を見せ、ごめんなさいと小さく呟いてそっとライールのそばを離れた。
「いいわよ別に……シャクス、飛竜のこと話してあげてよ。その子に」
ライールのその子、という言葉は飛竜を指していた。力なくライールは笑って、続ける。
「その子は、飛竜じゃない……私の家族になってくれるって言った、飛竜じゃないもの……」
「俺からすれば、お前の言う飛竜はずっと、俺の知っている飛竜じゃなかったがな」
シャクスは、そんなライールに冷たく言い放つ。ユキは思わず、シャクスの言い様に文句を言いたくなったが、口を噤んだ。今、ユキは傍観者に過ぎない。これは、飛竜と、シャクスと、ライールの問題だとユキは理解していた。
「どこから話そうか……お前たちはどこまで知ってるんだ?」
シャクスが、ユキとトモに問いかける。
「僕は、ライールが飛竜と蒼竜のいたところから逃げ出そうとして、蒼竜って子が死ぬところまで」
「オレは何にも知らねぇぞ」
二人がそれぞれ答えたのにシャクスは頷いて応えた。
「それじゃあ、せっかくだ。最初から話させてくれ。飛竜と蒼竜は俺の血の繋がった兄弟だ。いや、もしかしたら本当は兄弟だった、という方が正確かもしれない。なんせ、俺の双子の弟は生まれた直後に母親もろとも死んでるからな」
「は……?」
思わず、ユキは疑問を声に出していた。トモも、顔をしかめ、疑いの目をシャクスに向けている。飛竜とライールは俯いたまま、静かにしていた。
「お前たちは、十五年前に起こった災厄を知っているか」
シャクスは、ユキとトモに問いかけたが、二人とも首を横に振った。十五年前、というとユキもトモもまだ生まれる前の話である。しかし、そんな話はユキは聞いたことがない。おそらく、それはトモも同じだったのだろう。シャクスはそんな二人の様子を見て、何かを納得したようだった。
「そうか……十五年前、俺たちの住むところに災厄が襲った。それは、進化の暴走と呼ばれるものだ。鳥や、獣がある日突然凶暴化し、体の組織を変化させ、人々に襲い掛かった。そしてそれは、ヒトも例外じゃなかったんだ。俺の母親は、腹のなかに俺の弟たちを孕んだまま、その狂気に飲まれた。その狂気のまま親父を襲い、親父は母を殺した。その時に、腹の中にいた弟たちも確かに死んだはずだった」
「ちょ……っとまってよ……進化の暴走? そんな話は、聞いたことがない……」
ユキが絞り出した声は、震えていた。鳥や獣やヒトがある日突然凶暴化するという不可解な現象であれば、ユキが生まれる前の話だったとしても、知らないのはおかしいのだ。
しかし、シャクスはユキの方を見て、冷静にこう答えた。
「ユキ、お前はもう俺たちがどこから来たか見当がついてるんじゃないのか。お前は、そこにいる赤いのよりもずっとこの世界に詳しそうだったからな」
「いや、でも、まさか……異世界から来ただなんてそんな話信じられるとでも?」
ユキは内心、シャクスたちが自分の仮説を笑い飛ばすことを期待していた。しかし同時に、そうでもなければ今までのこと全てに納得がいかないとも思っていた。そして、シャクスはユキの言葉を笑うことなく、頷いたのだった。
「俺も、確証は得ていない。けど、おそらくそう考えて間違いないだろうな」
飛竜も、ライールも、ユキとシャクスの立てた仮説に、反論しなかった。もっとも、飛竜は記憶が曖昧だということもあるのだろうが、その、翡翠色の澄んだ瞳で、シャクスを黙って見ている。その瞳は言葉よりも雄弁に、異世界から来たのだというシャクスの主張を肯定していた。ただ一人、トモだけがその主張に疑問を呈した。
「は? ユキもシャクスも何言ってんだ? 異世界ってどういうことだよ? 砂漠の外ってことか? でも、砂漠に外はないだろう?」
「ううん、違うよ、トモ。砂漠の外、というのはあながち間違いじゃないけれど、うぅんそうだな……なんて言えばいいのかな。こことは全く違う場所、とでも言えばいいのかな。外とか中っていう概念じゃ語れない、こことは全く別の世界から来たってこと」
「……まぁ、ユキがそう言うんなら、そういうことで納得しとくよ」
ユキが、トモに説明しようと試みたが、あまり伝わらなかったようだ。しかし、ユキはそんなトモの反応の方は普通の反応なのだと思った。異世界、だなどと突拍子のない発想ができる方が本当はおかしいとユキは思う。それは、クェルツェルと契約を結び、人ならざる姿へと変えた自身の経験が、ユキを普通から遠ざけているのだった。
不意に、ライールが声をあげて笑い出した。力ないまま、笑うその姿は亡霊のようで、ユキは不気味に思ってしまった。
「あは、アタシもね、その進化の暴走に巻き込まれた一人なのよ。わかるかしら? 自分の身体中の血が沸騰して、骨は砕かれ、内臓は破裂し、脳がぐちゃぐちゃにかき回されるような苦しみが。そしてね、あ、いまアタシ何か別のものに生まれ変わったなーって思ったら、お父さんもお母さんも狂ったように殺し合いを始めた地獄のような光景が目の前にあるの。辛うじて、正気を保ってたアタシを、同じように正気をたもてた姉さんだけが助けてくれたの」
「おい、ライール」
ヘラヘラと笑いながら話すライールを、シャクスが咎める。しかし、ライールはそれを気にすることなく言葉を続けた。
「そして、逃げ出したアタシたちを待ってたのは、たくさんの人たちからの迫害だもの。ほんと、なんでアタシ正気のまま生き残っちゃったんだろ……」
なんでかなぁ、と呟くライールに誰も何も言えなかった。トモですら、労わるような表情でライールを見つめている。シャクスが、咳払いを一つして、話を戻した。
「ライールみたいに、正気を保てたのは本当に一部のヒトだけだった。とにかく、俺たちの世界で起こったその災厄によって、俺の母と弟たちは死んだ。親父は、自分の手で妻と子供を殺した罪悪感から、その災厄の研究を始めた。なぜ、そんな現象が起こってしまったのか、沈静化はできないのか。その頃には多くの人が凶暴化した動物やヒトに殺されていたからな。賛同者は多く集まった。それからしばらくして、親父はあるモノを見つけてきた。それまでは、自分の妻や子供を殺した罪悪感に苛まれながらも、親父は正気だった。けれど、ソレを見つけてから、親父は……親父だけじゃない。親父に賛同して集まった研究者たちも少しずつおかしくなっていったんだ」
「正気を少しずつ失うって……何を、見つけたっていうの」
「親父が見つけたのは、美しい青い大きな翼の生えた爬虫類のような生物だった」