第二章 飛竜

 ユキの問いかけに答えたシャクスの声から、少しだけ憎しみをユキは感じた。それは、ほんのかすかなものだったが、確かに憎しみの声だった。それが、父親に対するものか、父親が見つけてきた生き物に対するものなのかまでは、さすがにユキには謀りかねたが。
「その生き物は、すでに死にかけの状態だった。みたことのない生き物に、おそらく進化の暴走によって生まれたのだろうと、研究者たちは当たりをつけた。けど、そんな俺たちに、親父は反論した。それは、神なのだと言った」
「神、ねぇ」
 その言葉に反応したのはトモだった。
「翼を持った青い爬虫類のような生き物っつーことは蒼月のことだろ? そっちでも、蒼月が創造神なのは一緒なのか?」
 トモが言っているのは、リシギアの多くの地域で創造神として伝えられている神のことだ。リシギアの人々は、その姿をした誰も見たことのない生き物をドラゴンと呼んでいる。
「蒼月……? いや、初耳だ。俺たちの世界にも創造神はいるが、蒼月という名前でもなければ、そんな爬虫類のような姿もしていない。だが、親父は確かにそれを神だといい……腐りかけの弟たちの屍体にその体を移植したんだ……。そして、生き返ったのが、飛竜と蒼竜だ。ありえない話だと思うだろう? でも、それは実際に起こった。親父は、誰も知らない知識や技術をどこからか手に入れていた。飛竜と蒼竜という名前もそうだ。親父は誰も知らない文字で二人に名前をつけたんだ。親父が言うには、飛ぶ竜と蒼い竜という意味なんだそうだ」
 少し困惑した様子で、シャクスは説明を続けた。その説明を聞きながら、ユキとトモの表情はだんだんと驚愕が隠せないものになっていた。
「それって、リシギアの神象文字じゃないの……?」
 信じられない、とユキは思った。シャクスたちは違う世界から来たと言った。そして、蒼月の存在も知らなければ、神象文字も見たことがないと言った。では、なぜ、シャクスの父親はそれを知り得たのか、どこで知ることができたのか。リシギアの、知識を。トモも、首を傾げながら、宙に何やら書こうとしては止めてを繰り返していた。どうやら、神象文字を書いてみようとしてたらしい。
「確か、蒼月の蒼も蒼いって意味だったよな。オレ書けねぇけど」
「そりゃ、高位の魔法使いとか学者くらいしか書けないだろうね! 確か、こんな感じだったと思うけど」
「ユキ、お前そう言うわりには書けるのかよ……」
 ユキは、朧げな記憶を頼りに、神象文字の一つである蒼という文字を宙に書いた。リシギアで使われている文字には三種類存在する。一つは、一般庶民も使う記印文字。これは、ものの形や概念を簡略化した記号のようなもので、覚書のようなものにしか使えない簡易的な文字だ。もう一つは、言記文字。これは文章を書くためのもので、学のある人しか使わない。そして、最後が話題に上ってる神象文字だ。これは、神が扱う文字と言われていて、人間が使うものではないとされている。しかし、神の名前を書くときはこの文字で書かねばならないと伝えられており、一部の学者や王族でも、すべての神象文字を読み書きできるわけではないのだった。ユキがこの文字を知っているのも、すべてはクェルツェルとの契約による恩恵なのだ。
 シャクスは、ユキが宙に文字を書く様子を見ると、なにか懐かしいものでも見るような表情で、それだ、と言った。
「親父は、どうしてそんな文字を知ってたんだろうな……」
「さぁな。そんなこと考えても仕方ねぇだろ。そんで? それからどうなったんだ?」
 トモに急かされて、シャクスは続きを話す。
「親父は人を生き返らせる研究を始めた。飛竜と蒼竜が生き返ったのだから、妻も生き返るはずだってな。飛竜と蒼竜はその実験のための実験体として扱われた。親父に、そのことに良心の呵責はないのかと尋ねれば、母を生き返らせるためなら二人は納得してくれるはずだと答えた。俺は、本当に申し訳ない話だが、生き返った双子の弟を、俺の弟として見ることができなかったんだ。当時は、何か、人知を超えた恐ろしい化け物のようだと思ったさ。それから、親父はいろんな人をかき集めて、いろんな器具や施設も作り始めた。そのどれもが、人知を超えたもので、初めは困惑していた研究者たちも、だんだん、その人知を超えた研究に傾倒し始めていった。だれも、飛竜と蒼竜を人として扱わなかった」
「シャクス兄さん以外はね」
 飛竜が、控えめにそう付け加えると、シャクスは苦虫を噛み潰したような顔をした。飛竜と蒼竜を実の弟として見れなかった、いや、今でも見れないのかもしれないその気持ちが、飛竜の優しさに苦しめられるのだろう。しかし、ユキは飛竜の記憶の中のシャクスを見ている。飛竜と蒼竜に兄さんと慕われている姿を知っている。そんな顔をする必要はない、とユキは思った。きっと、シャクスが思っているより、シャクスは飛竜と蒼竜の兄として二人に接することができていたんじゃないかとユキは思った。
「そして、ある時、ライールが実験体として研究所にやってきた。暴走したヒトの実験体は今まで手に入らなかったから、これで研究も大幅に進むだろうと親父は喜んでいた。そうすれば、飛竜と蒼竜、それから生き返った俺の母さんと五人でまた幸せに暮らせると、期待していた」
「でも、そんなのアタシからしたら真っ平御免じゃない? 逃げ出してやったのよ。アタシ、ヒトより身体能力高いから」
 シャクスの言葉は、ライールが引き継いだ。まだ力ない様子ではあるが、いきなり笑い出した先ほどからは幾分か持ち直したようだ。
「そしたら、飛竜と蒼竜とかいうガキが一緒に連れ出してくれってアタシに頼んだのよ。だからアタシは、一緒に迫害されてもいいならどうぞって答えたの」
 ライールは睨むように飛竜を見た。飛竜はその視線を少し悲しげに返しながら、ライールの言葉に続けた。
「その時、僕は逃げる気なんてなかった。けれど、蒼竜がどうしてもって聞かなかったんだ。蒼竜は時々、そういうことがあったんだ。なぜかはわからないけど、僕の知らないことを知ってた」
 そして、沈黙が訪れる。その先のことは、ユキも知っている。シャクスの父親が現れて、銃と呼ばれる何かで蒼竜を殺したのだ。だが、誰もその核心に触れようとはしない。ライールは自分がいうべきではないと思っているのだろう。飛竜は、それを口にしたくないのは想像に難くない。シャクスは、それをどう伝えるべきか考えあぐねているようだった。ユキはその時の光景を飛竜の記憶の中で見ている。だから、三人が沈黙する理由はよく分かる。しかし、トモは何も知らなかった。だから、トモだけが無神経とも言える様子で核心をついた。
「そんで、そのごたごたに巻き込まれて、蒼竜とやらが死んだんだな」
「っ、そうだ」
 トモの表情は読めない。ただ、その死を面白がっているわけではないことは伝わってくる。しかし、その死を悼むわけでも、三人に同情しているわけでもなかった。
「ついでに、蒼竜を殺したのはその父親よ」
 ライールのその補足は、少しの悪意があった。ライールが傷ついたように、飛竜も傷つけたかったのかもしれない。けれど、飛竜はそんなライールを非難するようなそぶりは見せなかった。ただただ、悲しげにうつむくばかりだった。